哲学辞典 (さ〜そ)
 
 


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渓声山色

しるべし。山色渓声にあらざれば怙花も開演せず。得髄も依位せざるべし。渓声山色の功徳によりて、大地有情同時成道する諸仏あるなり。

しかあれば、従来の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすぎざるあひだに、いそぎて発願すべし。

汝が深愛する名利は、祖師これを糞穢よりもいとふなり。

正修行のとき、渓声渓色、山色山声、ともに八万八千偈ををしまざるなり。

(道元禅師全集・正法眼蔵・春秋社)

三界唯一心

釈迦大師道

「三界唯一心 心外無別法 心佛及衆生 是三無差別」 

道元「三界唯一心」の巻華厳経の説くところを四句の偈
(紀野一義・講談社現代新書・「般若心経」)

 


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真理

ライプニッツは真理に二種を区別して、一方を必然的真理あるいは永遠的真理あるいは推論の真理と呼び、他方を偶然的真理或いは事実の真理と名付けた。
「モナロジー」から引用すれば、「真理にも二種がある。推論の真理と事実の真理とである。
推論の真理は必然的なものであってその反対は不可能であり、事実の真理は偶然的なものであってその反対も可能である」前者に属するものは、数学を典型とする演繹的論澄的な真理、一般にその認識が経験に依存しないとされるものである。後者は我々が経験的所与に基づいてのみ認識し得る真理であるが、これには歴史的個別的なものや単なる記述的命題に限らず、物理学その他の自然科学における命題も含まれる。
(ライプニッツ哲学研究・山本 信著・東京大学出版会)

真実と鈴

「真実」と「事実」は違う。真実は教えてもらえない。真実は自分が体験によって掴むしかない。真実を只一筋に追うてゆく旅ではあっても、やはり人間というものは迷う。慾界に沈むのである。そこで、鈴を鳴らして自分を戒めるのである。
(般若心教を読む 紀野一義 講談社現代文庫)

授記 じゅき(正法眼蔵21)

授記は一般に成仏の保証を得るということであり、法華経の重要なテーマとなっている。
一般の人の感覚で法華経のような大乗経典を閲覧すると、ほとんど途方にくれるところである。しかし、この地上に生きている自己のところにすべてあるがあるという立場を貫いて
読んでいけば、一番自己に近いところに救済の手がのびていることを知るはずである。特に、仏から仏へ、自己から自己に単伝してきた正伝の仏法は、自己が生きている事実が真実であることを、限りなく極めることであったのである。
すでに「古鏡」がそうであったように。また「有時」の有が、自己の生きているところに無限の時間があることであったように、仏道に入って修行を続ける限り、自己が無限の生命をうけついで生きている事実のところに成仏の約束がある。
訳注 水野弥穂子道元禅師全集・正法眼蔵・有時・文芸春秋社)

 自利自他

自らの利益を得ることを自利、他人を利益することを自他といい、この両面を兼ね備えることが大乗仏教の理想とされる。菩薩が上には自利のために菩提を求め、下には利他のために衆生を導くことを実践する。
「学道の人、言を出さんとせん時は、三度顧りみて、自利自他の為に、利あるべければこれを言ふべし」(正法眼蔵髄問記)
菩薩:自己一人の悟りを求めて修行するのではなく、悟りの真理を携えて現実のなかにおり立ち、他のため人のために実践(慈悲利他行)し、進んでは悟りの真理によって現実社会の浄土化に努める者のことを言う。
(岩波仏教辞典・岩波書店)

 人生

物は持たない。物は捨てる。余計な人間関係もだんだん捨てる。最終的には、この「自分」というものをこそ、捨ててしまいたいのだ。人間本来無一物。
無常迅速、生死事大。方向としては、間違っていないと思います。
本来は、どこまで自分というものを消してゆけるかが人生なのだ。自分を消して、自分が
いなくなれば、当然それは自然とか宇宙の側へと開けてゆくでしょう。
(池田晶子・暮らしの哲学・新潮社)

常識

すべての思考と感覚とが、そこから出てくる元のもの、それ以上遡れない普遍性のこと。
池田晶子・暮らしの哲学・新潮社)

 

人生・思索・賭け

人生は賭けであるという根源的な事実。
決断に生死を賭けて一瞬一瞬を勝ち取ることなのだ。
「speculate」が「思索」であり「投機」であるというのは、思索というのは、未知のこと、そのあらゆる可能性に考え致すことであり、そしてその始まりは、生死の何か、これを知ろうとすることに他ならない。全思索すなわち全存在を投機して今を勝ち取る。それが何であるのかわからないところの人生を生きることは、まったくのところ、賭けですね。
(池田晶子・暮らしの哲学・新潮社)

主義

他人の思想を自分で考えることなく取って付けると「主義」になる。
(池田晶子・暮らしの哲学・新潮社)

人生
なぜか存在する以上、この人生を生きる意味は、「己が魂を善くすること」である。神様にお返しするために、とは、ソクラテスの言である
(池田昌子・講演)

人類史

「人類史」を発展段階でとらえる見方は19世紀からはじまった。
ヘーゲルによれば、中国やインド、ペルシャなどに見られるアジア的大帝国にはじまり
ギリシャ的都市国家を経て、ゲルマン的近代国家へ至る道が、理性の自己実現の過程としての人類史だった
(哲学ワンダーランド・貫成人・php研究所)

実存

自分が、自分の選択以前にすでに条件ずけられているあり方を引き受けた上で、自分のあり方を選択するあり方を実存と呼ぶ。それは過去現在未来をわが身ひとつでひきうけるあり方だ
実存主義=超越的存在なしに、過去・現在・未来に分散した存在をいかに統合するか。
ハイデガー・サルトル・実存思想

(哲学ワンダーランド・貫成人・php研究所)fd

 

上部構造と下部構造

かれは(マルクス)、思想や宗教、思考法といった、人間の、いわゆる「精神的」な部分を「上部構造」、経済的状況や社会的立場といったいわゆる物質的な部分を「下部構造:と名付けた。プラトンをはじめとする伝統的西洋哲学が、精神的部分によって、食欲や性欲などの肉体的部分を制御しなければならないと考えたのとは逆に、マルクスは、下部構造こそが上部構造を規定すると言い切ったのでる。
マルクスの考え方は、精神や上部構造をむやみに信奉することの危険性と限界を明らかにした点に画期的な重要性がある。今日的な言い方をすれば、人間のあり方の「複数性」を明らかにしたとも言えよう。
(哲学ワンダーランド・貫成人・php研究所)

主体性

主体性にとって最高の条件は、主体性が自らの無制約的意志をそのなかに打ち樹てるところの、あの主体である。この意志が、存在者全体が何であるかを定言し定立する。
(ニーチエV・白水社・マルチン・ハイデガー・訳、解説・薗田宗人)

循環論法

循環論法は、結論として証明したいものを前提として仮定してしまうことだと定義してよいでしょう。
論証の肝心の部分を受け入れる理由が他になければ、こうした論証は決してうまくいきません。そのような場合の循環を悪循環といいます。
デカルトの循環
1。明晰判明な観念は、神の保証があるから信頼できる。
2.われわれは、「神が存在する」という明晰判明な観念を持っているので、神が存在することを知っている。
(哲学の道具箱。ジュリアン・パシーニ/ピーター・フォルス著・長滝祥司・広瀬覚訳・共立出版)


思想
 
 

役にたたない思想研究家、発言家列伝であり、読まなくてよい著者名を多数挙げて罵倒しているので便利。「思想なんか息もつけない世界もあるということだ。」「ふつうの人」:かれらはつねに見るものである。見られる者ではない。教わる者である。教える者ではない。読む者である。書く者ではない。学ぶ者である。かれらは「無名」の世界における生活が安定している限り、その世界に基本的に満足している。
思想なんかなくてもきちんと生きていける。あたりまえのことだ。しかし、だからといって無知であっていいはずはない。しかし、本来からいうと、それは余剰なことなのだ。
「自分の頭で考えよ」といわれる。そのとおりである。だが自分に有利であるようにしか考えない。現にここにまだ、「自分」がいて、日々の「生活」がある。哀しくても、虚しくても、考え覚悟を幾度となく立てて日々を生きるほかない
おぞましいインテリたち

蓮実重彦、守中高明、金子勝、大沢真幸、小森陽一、大月隆寛、小熊英二、佐藤俊樹、加藤典洋、、三浦朱門、鷲田小弥太、柄谷行人、渡辺直己、橋爪大三郎、小浜逸郎、福田和也、中義道、永井均、池田昌子、姜尚中、

真のインテり
正宗白鳥、西研河野善紀、つげよし春、福本伸行(最強伝説 黒澤)、シモーヌ・ヴェイユ(工場日記)、鎌田慧(自動車絶望工場)、原敏恭(猛烈サラリーマンの反乱)、ヘレン・ロジャース他(名もない道)、乙川優三郎(かずら野)、山崎豊子(花紋)、浅田次郎(壬生義士伝)、北方謙三(三国志)、山本周五郎、江藤淳(オールドファッション・中公文庫)、古井由吉(仮往生伝試文)、
不分明なインテリ
小林秀雄、山口昌男、中村雄二郎、丸山圭三郎、柳田国男、鶴見俊輔、神島二郎、橋川文三、広松渉、木村敏、竹田青嗣(エロスの世界像)、吉本隆明、
変な名著
「世紀末のプロ野球」(草野進こと蓮実重彦・角川文庫)、「読売巨人軍再建のための建白書」(草野進外・角川文庫)、「プロ野球批評宣言」(草野進・新潮文庫)
(思想なんかいらない生活(瀬古浩璽・ちくま新書))



書籍

すべての哲学書・思想書・評論書は、一義的には著者本人にとって必要なのであり(生活の必要、考え方の必要、自尊心の必要)、読者にとっての必要性は二義的である。
思想なんかいらない生活・勢古浩璽。ちくま新書


娑婆

「サハー」サンスクリット語の音訳。意味で訳せば「忍土」この世界は耐え忍ぶ土地。
インド人なら、あんたは他人に迷惑をかけているんだ、その迷惑があなたは許されてあなたは生かされている、だから、あなたも他人からの迷惑を耐え忍びなさい。それが忍土の意味です。
老いることをどうして怖がるんですか・ひろさちや。飛鳥新社

資本主義


イギリス型の資本主義
労働者を大事にする。産業別組合。
アメリカ型資本主義
消費者型資本主義
労働者をなくしてしまおう。
老いることをどうして怖がるんですか・ひろさちや。飛鳥新社



「われらが年ふる日は七十歳に過ぎず」詩篇
「生きている間死のありかたに親しんでいると、最後の時間が安らかに過ごせる」モンテーニュ
人生とは絶えざる「喪失」の過程だ。失恋、卒業、盗難、連れ合いとの死別、子供の死・・・・・私どもは様々の<小さな死>から生き残りながら、<どうでもいい他人の死>と<親しい者の死>を経験し、やがて<私の死>へと至る。「現代の文化の中で、死はますます了解しにくいもの、恐るべきもの」となっている。「一つ一つの死のかけがいなさということは、実感できない」。死に対して鈍磨した感覚をよみがえらせておかないと、必ず来る<私の死>の応用問題は解けない。
河谷史夫。山崎博光著「いのち論のエティカ」の書評)

以前には、死はいつも端役として仲間入りしていた。いまでは、私と並んで夕食のテーブルについている。
彼と仲よくせねばなるまい
。(ダグ・ハマショールド・道しるべ・みすず書房)

時間


「もし何ものも過ぎさらないならば、過去の時はないであろう。何ものもやってこないならば、未来の時はないであろう。何ものもないならば、現在の時はないであろう。」と
(聖アウグスチヌス)

子貢問政。子曰、足食足兵、民信之矣。子貢曰、必不得巳而去、於斯三者、何先。曰去兵。曰必不得巳而去、於斯二者、何先。
曰去食。自古皆有死。民無信不立。
論語

 書評

国家とは何か 菅野稔人(哲学者)著 以文社 

国家とはそれ自体支配階級である。 国家は資本主義経済の中で変形されるが、自立的なものとして存続する。
(評者 柄谷行人 朝日新聞紙上)

捨身

倍音は消え失せて行き、残ったのは会話であるが、それとて貧寒なあまり心のふれあいの欠如を隠しきれないのであるわれわれはおたがいに忍び足で別れていく。しかし、なぜであろう、なぜであろう。
われわれは他人のほうへからだを乗りだす。だが、詮ないことである。なぜならば、われわれにはいまだかって捨身する勇気がなかったからである。
ダグ・ハマーショルド・「道しるべ」鵜飼信成・訳・みすず書房)

 職務

お前の職務は、支配する権利をおまえにあたえてなどいない。ただ、他人が屈辱感なしにお前の命令を聞き入れることができるよう、自分の生き方を正してゆく義務をおまえに課するに過ぎぬ。
ダグ・ハマーショルド・「道しるべ」鵜飼信成・訳・みすず書房)

主張

支持されていない信念の言明。何かが事実であると単に述べるときはいつも主張がなされている
(思考の道具箱・ナイジェル・ウオーバートン・坂本知宏訳・晃洋書房)

心経

フリダヤ・スートラ」心臓のある経典。
心臓はアートマンの宿るところ(ウバニシャッド)アートマンは我と訳され、宇宙に遍満する「プラフマン」と同質と考えられている。人間のなかに心として宿るのはこの「アートマン」にあたる。。(
紀野一義・「般若心経」を読む・講談社)

諸法

五蘊の上で、我々の生きているところに、六根(眼耳鼻舌身意)があり、それぞれ認識する対象として六塵(色声香味触法)がある。「般若心経」はこれらを諸法とし、「是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不滅」を説く
諸法(四大五蘊、十八界)が仏法である

正法眼蔵・道元全集1・春秋社・訳注水野弥穂子・)

四諦

苦諦(三界は皆苦であり)、集諦(この苦は煩悩と善悪諸業の集まりであり、滅諦(煩悩と善悪の因を滅すれば寂滅の涅槃に入り)、道諦(誠に至る修行が八正道である)
正法眼蔵・道元全集1・春秋社・訳注水野弥穂子・)

自由と多様性

自由とは何か。多様性の保障だと思う。文化という生態系でも、単一化すると衰弱するという法則がありそうだ。
多分、時代の流れは、均質な生産より多様性を生かす方向に向かっていると思う。
教育の問題については、塾の多様性整にもっと眼を向けてよい。
(ぼくはいくじなしとここに宣言する。森 毅・青土社)

冗長性の指摘

概念や対象について冗長であることが言えれば、反駁と同じように効果的にそれを
お払い箱にできる。何かの存在を措定すべき理由がないこと、それなしでも説明が
完結することが示せれば、問題の対象が存在すると信じる動機も奪い去ってしまえる。
(哲学の道具箱・ジュリアン・バッジーニ他・共立出版)

 


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数学

数学とは、おおざっぱにいえば、数の集合や幾何図形などの数学的対象の形を突き止める営為だ。「形」というのは、「どこが同じで「どこが違うか」を抽象的に言ったことばである。だから「形」について何かを述べるためには、「同とはどういうことか」をきちんと定義し、「違いを示すための道具」を生み出さねばならない。「ガロア理論」と「位相空間理論」
(現代思想201105・小島寛之・空間の「形」を知るための武器)

数学

数学は「頭の中の存在」ではない。
数学は、観念ではなくて、完全な「現実」です。あるいは、それこそがほんとうに存在するもの、「真実性」と言ってもいい。
数学は時空を超越した不滅の存在者の領域に属しています。

(池田晶子・暮らしの哲学・新潮社)


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 世界観

この宇宙をどう見るかが、その人の宇宙なのだ。物理学者は宇宙は物質であると見る。数学者にとっては数、音楽家にとっては音だ。詩人にとって宇宙とは、言葉以外の何ものでもないでしょうね。私などには現象としてのこの宇宙という存在は、意識もしくは概念というふうに見えています。それぞれの人がそれぞれの見方で宇宙を見ている。これをこそ正当に「世界観」と呼ぶことができましょう。
(池田晶子・暮らしの哲学・新潮社

善悪

世の人が、「善悪」の意味を間違えているのは、それが何らかの外的道徳でしかあり得ないと思っていることだ。しかし、善悪の規範は自身の魂のうちにしかない。また、そうでなければ善悪の意味でもない。自分さえよければよいと、人は言う。しかし、多くの場合それは、自分の魂に悪いことなのだ。悪いと知っていて、なぜ悪いことをするものだろうか。 凶悪な事件が増加し、生命操作も加速している。これらはすべて、人々が存在の不可解を忘れ、善悪の意味を取り違えたことの結果である。宗教にはできない哲学の仕事がもしあるとすれば、教えとして説く以前に、まず存在の根源的な不可解を提示し、そこから論理的に説き起こしてくる仕方であると思われる。
(池田昌子・講演集・レジメ)

生死

生は来にあらず、生は去にあらず。生は現にあらず、生は成にあらざるなり。しかあれども、生は全機現なり。死は全機現なり。しるべし、自己に無量の法あるなかに、生あり、死あるなり。
 しずかに思量すべし、いまこの生、および生と同生せるところの衆法は、生にともなりとやせん、生にともならずとやせん。一時一法としても、生にともならざることなし、一時一心としても、生にともならざるなし。
(道元禅師全集・第三巻・訳註水野弥穂子・春秋社)

一切の生あるものは力への意志である。「持とうとより多く持とうと意欲すること、一言で言えば成長ーーーこれは生そのものである。力とは、より多くの力への命令である。力の高揚は、それ自体が同時にまた力の維持である。
(ニーチエV・第1章力への意志・白水社・マルチン・ハイデガー著・訳、解説・薗田宗人)

 

善意解釈の原理

ある人物のことばや振る舞いを無理なく説明してくれる翻訳が幾つもある場合には、特別な事情がない限り、考慮すべき状況において相手に一番合理性を認めてやるような翻訳を選ばな
ければならない。経験則
(哲学の道具箱・ジュリアン・バッジーニ他・共立出版)

対的情報感

1 第一人称性の情報感覚 目的を明確にし、集中する

2 第二人称性の情報感  相手に物事を伝える反射的な感覚

3 第三人称性の情報感  自分自身を含めた全体像を客観的に感知できる能力

  I T環境のなかで、情報の洪水に溺れることなく、自在に仕事を組みたてて行く全体感覚を「絶対情報感」と総称する。

絶対情報感・伊東 乾・講談社

善意解釈の原理ノツール

「善意解釈の原理」他人の論証や主張がもっとも道理にかなったものとなるように翻訳して、その合理性お最大化すること。この原理を賢く使えば、物事が簡単になる。経験則。
(哲学の道具箱・ジュリアン・バッジーニ他・共立出版)



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ソクラテス(前469−前399年)

紀元前469年プラタイア戦争でアテナイがペルシヤに勝利した10年後にアテナイに生まれた。父は彫刻師、母は助産婦である。
ソクラテスの関心は空気や水のような素材(アルケー)としての原因にではなく、善や正義のような、目的(万物を秩序づけるもの)としての原因に向けられている。
知恵のある人物と思われている人々は自分の職業に関する知識はもっているけれども、たいせつなこと、善美のことがらについて何も知らない。わたしは、大切なことについて何も知らないからそのとおりに、知らないと思っている。この点でわたしはかれらより勝っている。無知の知
。(哲学をきずいた人びと・山本新。高文堂出版

荘子

紀元前4世紀頃の中国の思想家。「胡蝶の夢」とは荘子が蝶になって楽しく飛び回る夢を見たあとに、自分が蝶になっていたのか、蝶が自分になった夢を見ていたのかわからなくなったという話から、現実と夢の区別がつかないことや人生のはかなさといった意味で使う言葉。
コンピュータのきもち・山形浩生。アスキー)

荘子

尾生は女子と粱下に期す。女子来たらず。水至るも去らず、粱柱を抱きて死す。(荘子・盗跖跖)
(老子の毒荘子の非常識・大野出・風媒社)

夫れ大塊、我を載するに形を以ってし、我を労するに生を以ってし、我を佚するに老を以ってし、我を息わしむるに死を以ってす。  大塊:天地自然 佚するに:ゆったり過ごす
(老子の毒、荘子の非常識・大野出・風媒社)

想定

述べられていない前提、当然視され決して明示されない前提。我々は皆ほとんどいつも想定を設けている。さもなくばどの討論もあまりに多大な舞台装置を必要とするので、論点に決して到達しないであろう

情報           コンピュータリテラシー  情報処理     

インフォーメーション 人間へのインプット=インフォーメーションの収集

インテリジェンス    人間のプロセシング=インテリジェンスによる考察

インテグレート    人間のアウトプット=知的生産物へのインテグレート

(絶対情報学。伊東乾・講談社)

相対主義  

基準はいくつかあるかもしれないが、あらゆること場合にこれが最高と言えるような
唯一の基準はない。
(哲学の道具箱・ジュリアン・バッジーニ他・共立出版)

 
 
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