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| テーマ | 著者略歴 |  
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| 待つということはどこか、年齢を重ねてようやく、といったことがありそうだ。希望を棄てたあとでも希望を養う最後の腐植土なのだろう、「腐植土」、ラテン語では「ヒューマン」の語源である。 |  | 大阪大学副学長・1949年、京都生まれ 京都大学文学部
 専攻 臨床哲学
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| 言葉 |  
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| まえがき 待たなくてよい時代になった。「待たない社会」待つことができない社会になった。「待てない社会」
 かって「待つ」ことはありふれたことだった。
 みみっちいほど、せっかちになつたのだろうか。
 せっかちは、息せききって現在を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢をとっているようにみえて、
 じつは未来を視野に入れていない。
 未来というものの訪れ待ち受けるというこがなく、いったん決めたものの枠内で一刻も早くその
 決着を見ようとする。
 やりなおしとか修正を頑として認めない。結果が出なければ、すぐ別のひと、別のやり方でとい
 うわけだ。
 多愁多恨亦悠悠(霜山徳璽・「素足の心理療法」)   |  |  | 
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