文芸辞典 (さ〜そ)
 http://www.tobari-kaikei.com/cgi-bin/login.cgi 更新君
 

 

 

 


http://www.google.co.jp/

 斉藤磯雄

 
 サアジィの薔薇

       この朝きみに薔薇を捧げんと思ひたちしを、
        摘みし花むすべる帯にいとあまた挿み入るれば
     張りつめし結び目これを抑ふるにすべなかりけり

       結び目は破れほどけぬ。薔薇の花、風のまにまに
       飛び散らひ、海原めざしことごとく去つて還らず。
    忽ちにうしほに浮かびただよひて、行く手は知らね、

       波、ために紅に染み、燃ゆるかと怪しまれけり。
       今宵なほ、わが衣、あげて移り香を籠めてぞくゆる・・・
    吸い給へ、いざわが身より、芳しき花の想ひ出。

  原詩 フランス詩人 ヴアルモオル夫人 斉藤磯雄訳
   (フランス詩話 斉藤磯雄著 新潮社)
 

 西行法師(平安後期ー鎌倉初期の歌人)

こころなき 身にも哀れは しられけり しぎたつ沢の 秋の夕暮れ
(新古今和歌集)

なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる 我が涙かな
(千載和歌集)

津の国の難波の春は夢なれやあしの枯葉に風わたるなり
(新古今和歌集)

 讃岐(二条院讃岐平安後期ー鎌倉初期の歌人)

散りかかる もみじの色は ふかけれど わたればにごる 山河の水
(新古今和歌集)

世にふるは くるしき物を 真木の屋に やすくもすぐる 初時雨かな
(新古今和歌集)

相模(平安中期歌人)

うらみわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなん 名こそをしけれ
(後拾遣和歌集)

いかにせん 葛のうらふく 秋風に 下葉の露の かくれなき身を
(新古今和歌集)

 

三単一の法則

ポワローが「詩学」の中で定義しているように、劇は同じ場所で一日の中に行われた出来事.とを最後まで扱わねばならぬという、場と時と出来事の三つの単位の一致をとく古典主義の演劇理論。
言語と文学・ジャンポーラン著「タルプの花」・野村英夫訳・書肆心水社・訳者註)

サント・プーブ

サント・プーブは、ある深い思想に結びついている作家と、作品において「単に修辞学だけの関心に」没している作家とを区別するのを仕事としたおそらく最初の批評家であろう、いうまでもなく、前者は大なり小なりにすぐれたものでありうるが、後者は嫌悪すべきものだということになる
(言語と文学・ジャンポーラン著「タルプの花」・野村英夫訳・書肆心水社)

作者

しかしながら、作者というものはわれわれの手をのがれて作品の背後に姿をかくしているものであり、人間は作者というものの背後に姿をかくしているものなのである
言語と文学・ジャンポーラン著「タルプの花」・野村英夫訳・書肆心水社

作家
 

本物の書き手は、勤め人とは正反対の生き方をしなければならない。
安定ではなく、不安定、、秩序ではなく混乱、集団ではなく個人、協調ではなく独行、妥協ではなく反抗、つまり反社会的存在であること。その立場に立ってこそ普通では目に見えぬものが見え、葛藤生じ、書くに値する、読ませるに値する火花が飛ぶからだ。
丸山健二)

作家


モーリス・ブランショは作家についてこう書いている。
「作家はその作品を通じて、自分を発見し、自分を実現する。作品以前において、作家は自分が誰であるか知らないし、現に何ものでもない。作家は作品を始点にして存在し始める」
この文章の中の「作家」を「人間」に、「作品」を「労働」に書き換えて読んでみよう。
街場の現代思想・内田樹。NTT出版

歳時記


歳時記を通じて、日本人はがすくなくとも、2000年以上かかって蓄積した感受性の表現形態を知ることができる。
論より証拠
谷沢永一。潮出版社


http://www.google.co.jp/

 



 

 

小説

作家と読者とすべての登場人物とが、ともに手をたずさへて嘘の世界を逍遥することこそ小説の正しい方法だと思う。
浅田次郎・見果てぬ花の咲く如く・小説的場六兵衛完結にあたり・日経・2013・04・28)

住居空間と文学

「わたしは、日本の近代小説はとくに、住まいとその中に閉じ込められた気分のことばかりを延々と描写してきたとおもっている」西川裕子
日本近代小説は、都市/農村、西洋/
非西洋、近代/前近代といった多層的な「文化的変身」のプロセスで生じた身体の軋みを文学の形式で表現した。
(住宅の歴史社会学・祐成保志・新曜社)

白石かずこ 詩人

(詩集「浮遊する母、都市から」 からコトバを拾う)

てのひらにのせてあげるから こっちへ

むかうみちは そこでとぎれている

ひらり ひらひら 雪のふる夜は

ひらひら 雪よりひらひら ひいやり

ひらひら雪泣きやめず

ふり ふり ふりつづけ

昨日(夢の中で あなたをみました)

死と生が ここでよく顔をあわせます

ギンズバーグは だいぶ前に いきました。

勝手に 天へ 浮遊するものよ いや応なく浮遊するものよ

空は晴れている そのほかに なにを

期待しよう ここでは 誰も 笑顔を 交すだけ

老女は ピザをおとしたのです 九十二年の歴史のはいったパスポー

トをうしなったのです

ほとんど いやしく

且つ 気品ある獣性に まっすぐ

見つめられる時 人間は もろくも 磁場から ころげおちる

ときには 砂漠に ひとり踊りするコトバたちを追放せよ

神経が百合の頭になってゆれるのだもの

会計士のように キツツキが 机に

むかっています こんな夜は わたしも

わたしの中のビーバーさんも ぐっすり

眠ることができるのです できるのです

書物をひもとく なにもかかれていない

おそらく なにものも かくことのできない

なにものも よむことのできない 永遠に

書物ひもとく ひとりの男よ

詩は頭をかかえているが 夜は毎晩きっかりやってきた

リラの花咲くころ、くににもどることにしているわ

サーニャ 夕食の時間だよ

あぶないから 上へ あがってはいけませんよ

抒情とは

幸福なものである 悲しみや絶望をふかぶかと抱きかかえる

巨きな霧であるからに

 

衆妙之門

道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。(老子)

椎名麟三

文字通り「ホントウの身体」「ホントウの心」を示すために、いかに悪戦苦闘したことだろうか。氏は「微笑をもって正義をなせ!」では満足できなかった。むしろ、微笑をもって不正をなさねばならぬ人々のために書いたのである。(「美しい人」について・武田泰淳)
(椎名麟三氏の死のあとに・武田泰淳集・影書房)

自分らしく

地上に生きる者の最上の幸福は
ただ自分らしく生きること。

自分さえ失わずにいられるなら
どんな生き方も辞さない。
いつまでも自分のままでいられるなら
何を失っても悔いはない。
(ゲーテ・西東詩集)
(閑適抄ギッシングとともに・大塚幸男・第三書房)

人生の夕べ

Was man in der Jugend begehrt hat man im Alter die Fhlle
人が青春の頃に得たいと願ったものは老年に至って豊かに与えられる。
(ゲーテ)
ゲーテのこの言葉はかって私にとって一つの希望であったが、後には、信じられない言葉として私に頭を振らせた。・・・しかしこの言葉は、正確には、何を意味するのであろうか?
・・・
しかし人間には自己の人生の条件に服従させる能力が具わっているということを、私は限りなくいたましい事実としていつも眺めて来た。満足とは実にしばしば諦めを意味している。叶えられないと見えた希望を棄てることを意味している。
私はこの疑問を解くことができない。(ギッシング)
人生のありようをあきらめ(言葉の語源的な意味において)、人の心の深奥を洞察した人の、悲しい感懐である

(閑適抄ギッシングとともに・大塚幸男・第三書房

写真

いい写真とは、過ぎ去った時間まで揺らし、かなたの時代に生きていたひとと同じ時間を共有しているような「錯覚」と「赤の他人」に思いを馳せらす自由を見る人に与える。
ひとえのいとおしさの研究。
〔東京夢譚・鬼海弘雄・草思社)

写真

「写真は、空間のフレームではないんだ。時間をフレーミングするもの。だから、写真の.
コマは、その前後ろに過去と未来を持っている。切られちゃった過去と未来が、コマ
とコマのあいだに潜んでいるんだよ」
荒木経惟・東京夏物語・解説鈴木一誌)

事件の報道

ある事件を”私有”することは、作家にとって大切なことである。「罪と罰」がある新聞をきっかけとして構想されて行ったことは誰でも知っていることである。
けれども今日では、事件の報道は、新聞記事だけではなく、写真、ラジオ、テレビジョン、週刊誌などで微にいり細をうがちどころではなく、生の事件の生の経過までが詳細に報道され解説され論評されるようになっているが、それがこれでもかこれでもか式に詳しくなればなるほど、次第に広津、宇野氏風には”私有”を許されなくなって来ていると思う。
報道の迅速さ、精細さということ自体、何か大切なものを奪い去っていはしないか。
(堀田善衛・戦後文学エッセイ集・影書房)

詞華集

昭和4年9月に刊行された佐藤春夫の「車塵集」。
詞華集とは本来「好みの花を選ぶこと」だが、「車塵集」の第一の特徴は、世に埋もれ、忘れられた名媛たちの「つつましい花びら」をもって一巻の詩集としたことである。

風花日将老
佳期猶渺渺
不結同心人
空結同心草
              薜濤

しづこころなく散る花に
なげきぞ長きわが袂
情をつくす君をなみ
つむや愁のつくづくし
              春夫

風花 日に将に老いんとするに、
佳期 猶ほ渺渺。
同心の人を 結ばず、
むなしく 同心草を 結ぶ。
              辛島驍 

現在、成都には薜濤の旧居跡を「記念する望江楼公園がある
一切合財みな煙・窪田畔般弥・河出書房新社)

常套句                                                                                                                                                                                           

常套句や観念や映像などはーーたとえどなに難しいものであろうともーーすくなくとも未知のある世界からわれわれのところにやってくるものではないのだ。それは愛や憐れみの情がわれわれのものであるように、われわれのものなのだ。さらにそれらのものについて抱いている知識は、それらと全く無縁でなぞありえないのである
(言語と文学・ジャン・ポーラン著・タルプの花・野村英夫訳・書肆心水者)

ジャズ Miles Davis

絶えず変化し挑戦する。それが人生。

1. "From Cool To BOP The Anthology" by Miles Davis
2.  "My Funny Valentine" by Miles Davis
3.  "E.S.P" by Miles Davis
4.  "On the Corner" by Miles Davis
5.  "Sketches of Spain" by Miles Davis
6.  "The Man with the Horn" by Miles Davis
7.  "Doo-Bop" by Miles Davis
8. "You're Under Arrest" by Miles Davis
milesdavis-japan.com

詩の風景・詩人の肖像14−多田智満子



いつも私よりすこしばかり背の高い鏡

私よりすこしばかりおくれてわらう

私はカニのように赤くなって

鏡からはみ出た私を鋏で切りとる

(多田智満子詩集より

女たち珊瑚らは

雪はまだ降らない だが羊たちゆっくりと

歩いていた空と いまは  ちがう

明後日の方をみてるような薄目をあけてる

そんな空である

クリスマスも もう興味はない 友は

天に召されるのだと それは初体験なのよ といった

その叡智と涼しい決意にみちた顔を 今日みない

想像するだけである

耳たぶの傍 手首に と 彼女から赤い珊瑚がとどいた

涙のように透明で 赫々と詩がうたいだすときのような

繊細な情熱に満ちたプレゼントだった

今は夜なので彼女たち珊瑚らは眠っている

雪は まだ降らない

が、私は嵐の来る前に羊たちを部屋に招きいれ

長い糸で編みだした みえない虹を

糸電話のように 彼女が どこにでも

もっていけるように

(わたしは詩をしたためると、彼女に送った。白石かずこ・るしおる64・書肆山田)

 

われらの裡なるイナンナ チマコよりカズコへ 2002年晩秋

 

世界でいちばん古い国の

世界でいちばん古い女神は

(それでもやっぱり天へ挙げられることなく)

冥界へ降りていったのだ

第一の門を通るときは帯とヴェールを

第二の門では腕輪と指輪を

こうして降りるにつれて裸になり

とうとう美しい裸身だけを身にまとうて

冥府の底へと降りていったのです

そして犬のように釘に吊るされたともいう

 

ですから友よ私はひそかに恐れていたのです

いちばん古くいちばん新しい詩の女王への

あの貧しい捧げものが

なにか不吉な予兆になるのではないかと・・・・・・・

しかしまたこうも思ったのです

詩の女王はあの古い女神と同じように

海の底から浮かびあがるこの国の海女のように

そう龍王から珠をとり還して海上に

浮かみあがったあのお能の「海女」のように)

あの美しい脚で肺気腫という不吉な波を蹴立てて

堅い冥王星の座を蹴破って

《たたなはる波また波》をかきわけて

必ずや再生の光を浴びて立ち顕れるにちがいないと・・・・・・

 

子羊のようにあなたの裸形を

とり巻いた小さな珊瑚に祝福あれ

彼女らを波からあらわしつつ

あなたはそれを投げ返すでしょう

そして私は再び第一の門第二の門と

冥くてまばゆい秘儀への道を辿りながら

あなたの手首足首をつかもうとするでしょう

血の雫のような珠で

私たちの共有したものを

しっかりにぎりしめるために・・・・・・・

(るしおる64・書肆山田・2007年5月26日。白石かずこ)

小説家

自己を違うものに仕立てられるかどうか。
小説家の場合、自己の体験を論理として述べるということだけでなく、自分をひとたび劇化するという要素が必要です。
「どう言われたって一向に構まわないよ」というくらい、自分の表現したものが、自分から離れてしまえば、他人から見て何か言われることは覚悟の上だと考える。

真贋 吉本隆明 講談社

 

 

釈 超空
 

古代感愛集
近代感愛集


島崎藤村(1872−1943)


北村透谷の影響を強く受け、「文学界」創刊に参加する。「若菜集」の清新な叙情によって、我が国の近代詩はジャンルとして確立を告げる。)

黄昏

つと立ちよれば垣根には
露草の花さきにけり
さまよひくれば夕雲や
これぞこひしき門辺なる

瓦の屋根に烏鳴なき
烏帰りて日は暮れぬ
おとずれもせず去もせで
蛍とともにここをあちこち
(詩的レトリック入門・北川透。思潮社

シャンフォール

「笑わない一日ほど、むだに過ごした日はない。」
内藤濯・落穂拾いの記。岩波書店


ジュベール


「空を見あげた眼は、いつも決まって美しい。」
内藤濯・落穂拾いの記。岩波書店


ジャン・ジャック・ルソー


懺悔録


「これこそは私のやってのけたことだ。考えたことだ。過ぎ去った時代の私だ。善も悪も同じ率直さでさらけ出したのだ。」
内藤濯・落穂拾いの記。岩波書店


シャトオブリアン


墓のあなたの記


「退屈だ、退屈だ、私は生活をあくびしている。私は私の侘しい心を、私の命とやっと引っぱっている。」
内藤濯・落穂拾いの記
岩波書店)

収集


何をまだ所有していないか自己確認すること。
デザインは言語道断・川崎和男。(株)アスキー


塩野七生


海の都の物語(中央公論社)


ヴェネツィアの国がどのようにして興り、繁栄し、衰微していったか。ヴェネツィアは軍備がなく、有能で傑出した伝説的なリーダーがなく、すべて合議制で成り立ち、商業立国に徹していた国だった。つまり塩野七生はこの話を通じて現代日本の課題を語りかけているのだ。
論より証拠・谷沢永一。潮出版社)

篠沢秀夫

篠沢フランス文学講義(大修館)

フランスを知りたければ17世紀のフランスを知るべきであり、17世紀のフランス文学を知りたければ「ダルタニアン物語」(全11巻講談社文庫)を読むべきである、と力説している。
論より証拠・谷沢永一。潮出版社)

ジエイムス・ジョイス


彼(ジヨイス)はわれわれが絶対的な信頼を確かに寄せることのできるただひとりの小説家であり、仮にそういう人がいるとするなら、彼こそ今後一千年間は記憶されるであろうという確信をもてる唯一の人物にほかならない。ある批評家の有名な言葉に次のようなのがある。(ジエイムス・ジョイスは傑作しか出版しなかったという点で、いまもむかしも小説家の中ではほとんど独自の存在である。)「読者のための二十世紀著述家案内事典・フランク・カーモード。ヘリコン社」より
きまぐれ読書・富士川義之。みすず書房


秀作


大沢在昌@「雪蛍」講談社:ストーリーテリング、ディテールともに卓抜な秀作。読むべし。
ぜんぶ本の話・安原顕。ジャパン・ミックス


小説


小説には定義も法則もない。精神の自由な運動、湧きいずるイマジネーションを自在に紡ぎ出し続けているうち、いつのまにか「小説」の体をなしている、まあ理想を言えば、こんな感じで仕上がったものが、ひょっとすると「傑作」と呼ばれる小説なのかもしれない。むろん、これとはまつたく逆の方法、つまり初めからきちんと構想があり、計算され尽くされた上で書かれた小説もある。いずれにしても言うは易いが、それを成し遂げるのは至難の技ということになる。
前者のタイプ:石川淳、藤枝静男、深沢七郎、晩年の室生犀星。
ぜんぶ本の話・安原顕。ジヤパン・ミックス
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
近代における「小説」の歴史は、坪内逍遙が英語のノベルの訳語にこの語を当てたところから始まる。しかし「小説」はずっと古くから用いられてきた漢語で、文字通りには「小さな取るに足りない言説」の意である。「小説」の最古の用例は「荘子」外物篇の「小説を飾る」で、つまらない言説を飾りたてる出世主義者を批判している。「漢書」の芸文志によれば、「小説」とは巷のうわさ話程度の信用の置けない書物を指している。いま「小説」がそんな影を引きずった言葉だと意識する人はほとんどいない。それは、逍遙が目指した「小説」の地位向上を示す事実である。
興膳 宏・日本経済新聞。2004/06/27
「小説を書いていればその間だけ開かれることがあるから書くのだ。「開かれる」「見える」「感じられる」人によって言葉はそれぞれだろうが、小説を書いているときにだけ開かれるものがある
保和志著・新潮社

志水辰夫

いまひとたびの(新潮社)


三浦哲朗を超える名短編集:レベルが高く感動的な本。全九篇駄作がない。人間や人生に対する透徹した視線が心に沁みる。
ぜんぶ本の話・安原顕。ジャパン・ミックス


ジェーン・オースティン
 

当時の啓蒙主義とロマン主義が融合した時代のイギリスを見事に描ききり、それ以前にはなく、以後にもめったに見られないほどの高い次元の散文作品を生みだした。描写、会話、語り、そして言葉の響き、そのすべてにおいて彼女は最高のレベルに達し、ジエーン・オースティンによって英語は新たな高みに引き上げられた。
英語の冒険・メルビン・ブラック・三川基好訳。アーティストハウス

 書評

蓮花 LOTUS 鈴木薫著 ラトルズ(写真集)

湯上りの天女のようなというのは、蓮の花の匂いを私が形容したのである
(南伸坊 朝日新聞紙上)

あの夏少年はいた 川口汐子・岩佐寿弥著 れんが書房新社

「人間は誰でも、心の中に追憶の映画館を持つ」(なかにし礼)はるかなときを超えて、再び男女の人生の交錯を紡ぎ出した、大人のメルヘン
佐々木敏郎 朝日新聞

詩集

谷川俊太郎選集 集英社文庫

立原道造・津村信夫 新学社近代浪漫文庫

石原吉朗詩文集 講談社文芸文庫

旅をしても滞在するな

一泊もするな 

夜の汽車で発て小野十三郎)

 「勇気をもって現実から離れて、「空想」に走って真の現実のありようを先取りしよう。先取りこそ」詩の役目であり、詩でないとやれない仕事なのだ」
安水稔和)

読者の日常感覚に異質なものを持ち込むことによって、はじめから拒絶されているほうが、まだしも詩人の行動態勢として健康なのだ
(小野十三郎)

(小野十三郎・「旅と滞在」のなかの詩句・「若い人のための現代詩」安水稔和・教養文庫

小説の上手

文章の匂い、自分の語り口、読者をお話の国にヒョイと運んでくれるリズム
知っていることをしけらかさない賢さ
お話の余韻
宇江佐真理・「銀の雨」美の死・久世光彦・ちくま文庫)

小説家

1ページ読んで誰の文章かわからないものを私は文芸として認知しないことにしている
(美の死・久世光彦・ちkま文庫)

小沼丹川崎長太郎高木のぶ子瀬戸内晴美庄野潤三小池真理子内田百フ佐藤春夫・芥川龍之介吉屋信子三島由紀夫川端康成川上弘美太宰治夏目漱石・ 町田康・松浦寿輝野溝七生子・吉行淳之介・岡本かの子

人生

ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったことわすれてしまったことでできています
(すべて君に宛てた手紙・長田弘・晶文社)

人生の価値

人生の価値は、金でも社会的地位でもなく、自由に勝手気儘に生きることではないかと
誰しも心の片隅で思っていても・・・。自分では出来ないが、自由な人生も共感を覚える
。ブコウスキー「勝手に生きろ」「ポスト・オフィス」
(読んでもたあだか5万冊・安原顕・清流社)

 

ジョンレノン

       Imagine  
  

    
Imagine there's no heaven          
   it's easy if you try
   no hell below us
   above up only sky
   imagine all the people
   living for today...

   Imagine there's no countries
   it isn't hard to do
   nothing to kill or die for
   no religion too
   imagine life in peace...

   Imagine no possessions
   I wonder if you can
   no need for greed or hunger
   a brotherhood of man
   Imagine all the people
   sharing all the world...

   you may say I'm a dreamer
   but I'm not the only one
   I hope someday you'll join us
   and the world will be as one
   

想像してみて 天国はないって  
すぐできるよ
足下に地獄なく頭上には空
 みんなみんな
今日のために生きてるって

想像してみて 国々はないって
すぐわかるよ
殺したり死ぬことないよ
宗教もない
やすらかな人生を

想像してみて 欲得はないって
わかるでしょう
欲張りも飢えもない
私たちみんな兄弟
みんなみんな
いっしょの世界を

君は僕が夢を見てるんだって?
でも僕ひとりじゃないんだ
いつか君たちと一緒に
世界はひとつになるんだ
訳 セキザン

人物論の本

木村毅編「明治文学全集92・明治人物論集」

(紙つぶて・自作自注最終版・谷沢永一・文芸春秋)

書道の本

書家・宇野雪村「法帖」
波多野幸彦「書の文化史」
同「ホンモノニセモノ茶掛けの書」
増田孝「日本近世書跡成立史の研究」
中田勇次郎「日本書道の系譜」
駒田信二「中国書人伝」
松下英磨解説「大雅の書」
平野雅章編「魯山人書論」
(紙つぶて・自作自注最終版・谷沢永一・文芸春秋)

写真

「写真は、空間のフレームではないんだ。時間をフレーミングするもの。だから、写真の
コマは、その前後ろに過去と未来を持っている。切られちゃった過去と未来が、コマ
とコマのあいだに潜んでいるんだよ」
(荒木経惟・東京夏物語・解説鈴木一誌)


http://www.google.co.jp/

 

 

 

 鈴木真砂女

 夏帯や一途といふは美しく
 
 夏帯に泣かぬ女となりて老ゆ

 死のうかと囁かれしは蛍の夜

 早寝より覚めてこの世と知りにけり


 

すみだがわ

すみだ川にごりてくだる水のおもにきょうもうつる花のかげかな
安房(勝海舟)

崇高の美学

私は、「なんの変哲もない石ころ」の凝視こそ「崇高の美学」の原点なのだといいました。だから「石ころ」のはらむ他者性との対峙ないし対話に臨んでこそ、真の「野生の崇高さ」がぎりぎりこちら側の場所(=現在の肉体の損する此岸)に立ち現われてくるように思うのです。
(崇高の美学・桑島秀樹・講談社メチエ)

崇徳上皇

其の力を以て、日本国の大魔王となり、皇をとって民となし、民を皇となさん」(保元物語)
これほどに猛烈な革命的言辞をなした人は、日本の歴史に崇徳上皇ただ一人であった。もし他にあるとすれば、親鸞があるのみである。

(堀田善衛・戦後文学エッセイ選11・影書房

随筆

夷斎石川淳先生の名言を思い出した。正確には川本三郎に教わったことを思い出したのだが、(随筆とは博く書を探し、その抄をつくること)というのである
〔触れもせで・久世光彦・講談社)

スタニラフスキー
 

モスクワ芸術座

どん底 日本自由劇場 雑誌「演劇」「彼らは演ずるのではなくて、生きているのである。」
演劇新聞「コメディア」彼らの劇的表現の手段は、言葉と身のこなしの一致だった。たえず対話を造形的に注解するところにあった。スタニスラフスキイは何かの折に、ある一つの劇の中身が、言葉を俟ってはじめて理解されるようでは、俳優の立場はないといってのけた
(内藤濯・落
穂拾いの記。岩波書店)


菅野沖彦


オーディオ評論家
「レコード演奏家」主宰。推薦新譜批評.デザインが語れる人。
。(デザインは言語道断・川崎和男。(株)アスキー

須田剋太

差異存在の実態、万人万差の体験あるのみ。

私は何時も幼児期のもつ、決定してしまっているあの尊い純粋な記憶を、凡て忘却の彼方にも忘れることができない。

私は今つくづく考えることは、それは何時でも自分のありったけで生きて来たこと。

(画狂 剋太曼荼羅 加藤勉著 邑心文庫 平成15年7月14日)

鈴木志郎庚

「やわらかい闇の夜」青土社

 好き

「好きたあ、なんのことだ」「好きっていうのは、好かれたいことよ
「川上弘美・春立つ」(美の死・久世光彦・ちくま文庫・


http://www.google.co.jp/

 

セキザン

天高し樹林の影の藪柑子

千家元麻
 

どんな女が

どんな女が
どんな子供を抱いてゐるのを見ても
俺は聖母マリヤを思い出して
神聖な愛に打たれてしまふ
賎しい下品な顔をした母親が
赤ん坊を抱いてゐるのを町でよく見るが
矢張り美しい。母の喜びが露骨に見える
赤ん坊は本当に光ってゐる
此世のものとは思へない浄い顔をしている

私は

私は本を売りに行く
屈辱に思って眼に涙が浮かぶ
本屋の主人にそれを見られるのが辛いので
入りにくくなる、努めて元気になり
自分を装って入って行く、涙をぐっと飲み込んで

「この二編にある善良な性格は、全く詩を書く人でなかったら、何のわざにも従けなかったであろう。ふつうの人間はこんなに正直にものをいうことはできない。詩人のなかでも大上段の純朴を少しの顧慮なく表し得る人は、まず彼一人と言ってよいであろう
(室生犀星・我が愛する詩人の
伝記)

繊細さ

繊細さというのは、じつに節度のことなのだ。また節度を越えようとするのが現代人の情熱であり、きびしさである。この情熱がなくては、たいていのことができない
(古井由吉・半日寂寞・
講談社

蝉時雨

死ぬときは 一人の母に 蝉時雨 

逝きてなお 母のままなる 蝉時雨

(森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)

ジンチョウゲ

図書館の前に沈丁咲くころは恋も受験も苦しかりにき

吉野英雄
 

 


http://www.google.co.jp/

 

即物

「即物」本当の意味で物に即するということ。本当に物に即するには、抱き合わなきやだめ、離れていたんじゃだめなんだということ。そうなったときにほんとうの理解ができる。俳句としても素晴らしい俳句ができる。「生き物の感覚」即物の姿勢は抱き合う姿勢、抱きとる姿勢。


(金子兜太・悩むことはない・文芸春秋社)

蘇東坡

寒食帖」は東波書中抜群。内に蓄えられたものがおのずからにじみ出ているとともに、酔って書いたような自由さが確固とした基礎のうえで、リズミカルな展開をみせている。またこの詩「寒食雨」ニ首がともにいい。東波特有の臭味(自然を人間的に見ようとするメタフィジカルな思考癖)と言おうか、それがなく、惜春の情がしみじみと吐露されているとともに、大雨に悩まされながらもやんぬるかなといった表情の一種の余裕ある趣のなかに、抑制された流てきの悲しみが漂って味わい深い。
幻花山房漫筆・三好豊一郎。小沢書店)

蘇軾詩  澄邁驛通潮閣 
      
餘生欲老海南村 余生老いんと欲す 海南の村
帝遣巫陽招我魂 帝巫陽をして我が魂を招かしむ
杳杳天低鶻沒處 杳杳として天低れ 鶻沒するの処、
青山一髮是中原 青山一髮 是れ中原
     
            春夜

春宵一刻値千金    春の宵は一刻千金の値
花有清香月有陰    花の香り清く月影おぼろ
歌管楼台声細細    楼台の歌管止み声ひそか
鞦韆院落夜沈沈    ぶらんことまり夜更ける   (セキザン訳)

そば屋

そば屋の客には人生がある。「人生の味それぞれに蕎麦の客
森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)

 
 
ホーム     戻る