文芸辞典 (か〜こ)
 
 


 

金子薫園

揚羽蝶 花をくづして 去りしより ふたたび庭の 光の閑けさ
 

カレル・チャペック


山椒魚戦争(岩波文庫・創元推理文庫・角川文庫)



寒山詩


 我居山          我れ山に居す

 勿人識          人の識る勿し

 白雲中          白雲のなか

 常寂寂          常に寂寂

 寒山子          寒山子

 長如是          長へに是くの如し

 獨自居          獨り自ら居り

 不生死          生死せず

(西谷啓治・寒山子。筑摩書房より。禅の境涯を示す。)


蒲原有明(1876−1952)


詩人。はじは藤村の影響によって浪漫的な詩風。、「春鳥集」で象徴詩。「有明集」によって
、象徴的な詩風の詩を完成した。

   智慧の相者は我を見て

智慧の相者は我を見て今日し語らく、
汝が眉目ぞこは兆悪しく日曇る、
心弱くも人を恋ふおもひの空の
雲、疾風、襲はぬさきに遁れよと。

臆遁れよと、嫋やげる君がほとりを、
緑牧、草野の原のうねりより
なほやはらかき黒髪のわがねの波を、
こをいかに君は聞き判きたまふらむ。

眼をし閉れば打ち続く沙のはてを
黄昏に項垂れてゆくもののかげ、
飢えてさまよふ獣がとどめたまはめ、

その影ぞ君を遁れてゆける身の
乾ける旅に一色の物憂き姿、
よしさらば、香の渦輪、彩の嵐に。
(
詩的レトリック入門・北川透。思潮社)


桂 信子 1914/11/1-2004/12/16

「草苑」主催

女の心触れあうていて藤垂るる

牡丹昏れ夕べのひかり空に満つ

葉桜の夕べかならず風さわぐ

窓の雪女体にて湯をあふれしむ

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

角田光代

『このが、世界に存在することに』
角田光代 メディアファクトリー 1470円
本への愛情をこめて角田光代が描く新境地!

(2005・7・10NHK週間ブックレビュー)

書く

書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書く
という行為です。文字を使って書くことは、目の前にいない人を、じぶんにとって無くてはな
らない存在に変えてゆくことです。
すべて君に宛てた手紙・長田弘・晶文社)

歌碑

会津八一生前の歌碑
奈良新薬師寺
奈良万葉植物園
新潟県立図書館
奈良唐招提寺
奈良東大寺
北方文化博物館新潟分館
三基は自筆原稿の彫りつぶし
三基は原稿文字輪郭を薄紙に写し碑面に貼り付け彫る
六基とも手彫り、石も彫りもそれぞれ特徴あり。
没後の歌碑には塗りつぶしはなく、数基をのぞいて機械彫り。
(ソクラテスの琴・堀巌・沖積社)

 画家

「ダメな画家は画家に学ぶ」

「優れた画家は自然に学ぶ」

ダ・ビンチの言葉
絵筆のいらない絵画教室・布施英利・紀伊国屋書店



神谷美恵子(1914−1979)

「時々泣きたいほど勉強に専心したくなるけれど、そういう時はいつも岡本かの子のとった
道を思い出す。負けて勝つことだ。もし私にも家庭以外に何か使命があるならきっといつか
神様が道を拓いて下さるだろう」(1946・9・22)
(考える人・坪内祐三・新潮社)

漢字の語義

「字通」を見ていると、どの漢字説明にも「説文」が論拠に使われている。「説文解字」は
後漢の許慎の撰になる。後漢の時代相を許慎が書いたのなら真実であろう。しかし何千年のも昔に出来た、それも一度にでなく、また千年なら千年の修正を加えられつつ成長した漢字の語義が、次第に判明してきたのではなく、大昔から突然の空白何千年後、許慎にだけお告げがあって判ったなどと、無茶な話を論拠とする学者は全て偽者である。
甲骨文も金文も自らは何も語らない。文字学は想像による印象論である。
(紙つぶて・自作自注最終版・谷沢永一・文芸春秋)
 


 

木下順二

木下順二氏の最期の身の処し方についてー

「寡黙な先生らしいご最後・・・」と、ある人の死の報道に感服した。それは、劇作家木下順二氏が、一ヶ月前の06年10月30日にお亡くなりになっていたということを、本日 11月30日に知った時だった。一ヶ月の間、遺族は故人の遺志を守り、武田信玄のようにその死を公表しなかった。もちろん葬儀も告別式もない。現代最高の演劇人らしい身の処し方というべきだろうか。享年は92歳だった。
後には、日本演劇界の至宝というべき膨大な作品群が遺された。民話に取材した「夕鶴」や平家物語を前衛劇にした最高傑作「子午線の祭り」等々
(佐藤弘弥。ネット)


教育

はただ少数者のもにのみ可能なことなのである。
いかに教育を施してみたところで、その熱誠な教育によって裨益される者はわずかに何パーセントかにすぎないであろう。痩せた土地に豊穣なみのりを望んでも無駄なことである。
(ギッシング)
デモクラシーは、とくに今日の日本では、極端に歪曲されている。いうまでもなく、それは本来、政治的理念にすぎず、至上権は人民(市民)の全体に属するとする学説である。しかるに日本では、政治参加への権利の平等が人間の能力の平等にまで拡大解釈されているのである。実のところ人間の能力は千差万別であり、決して平等ではない。それを無視して、人間能力の平等を主張することは、一切のすぐれた精神を認めないことではないか。
(閑適抄ギッシングとともに・大塚幸男・第三書房)

起源をみれば本質がわかる

三木成夫(解剖学)さんの本から学んだことがたくさんあいます。起源がなにかを追跡していく。
文学者で言えば・柳田国男、折口信夫。

真贋 吉本隆明 講談社

北原白秋
 

邪宗門

処女詩集
明治42年自費出版

思い出

第二詩集
明治44年東雲堂
「私は「思い出」から何かの言葉を盗み出すことに、眼をはなさなかった。詩というものは
うまい詩からその言葉のつかい方を盗まねばならない。ただ、私が学ぶことができたの
は、女への思慕の情というものがこのように寄り添ふて、草木山河、日常茶飯事をもうた
ふものであるということであった。

嘆けとていまはた目白僧園の

   夕べの鐘も鳴りいでにけむ

室生犀星・我が愛する詩人の伝記)

木下杢太郎

花ちりつ、 花ちりつ、 灯に揺れて、花ちりつ

菊池寛

時の氏神


奇書


鹿島茂「子供より古書が大事と思いたい」青土社:本好きなら絶対に痺れる奇書という。
ぜんぶ本の話・安原顕。ジャパン・ミックス

教養


「教養」というのは、「生」の知識や情報のことではない。そうではなくて、知識や情報を整
序したり、操作したりする「仕方」のことである。もっと正確に言えば、「教養」とは「自分が
何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことで
ある。
街場の現代思想・内田樹。NTT出版)。

北川冬彦

早春

夜半
雪まじりの雨がしょうしょうと
竹やぶにふりそそいでいた。
夢は人の心にかかわっていた。
目ざめれば
まくらはつめたくぬれている。
ーーー自分の心はどうなのだろう。
日はうらうらと高窓よりさしこみ
鉄工所からは忙しい営みの響きがおこっている。
起きいでて
溝の塵芥を棒きれでつっつくと
濁れる水がじょじょに動き始めた。
小さな虫が一匹その流れに身を任せている。
畑には
くろ土を押し分けて、
麦の芽が青々とのびている。
ーーー土は信じていい。

北川彦は、短詩運動を始めた人で、するどい直観力で、ものの精髄をつき止めようと
激しい情熱をもった詩人
です
金子光晴・作詩法入門・久保書店)

記憶

記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ
去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、自分のうちに確かにとどまって、自分
の現在の
土壌になってきたものは、記憶だ。
記憶のつくり方・晶文社・長田 弘)

 

 教育の目的

一つは、社会の中で協調性のある子供を育てること。しかし芸術表現にまで及ぼすのはど
うか

布施英利・絵筆のいらない絵画教室・紀伊国屋書店)


 

私は「壬生義士伝」に、
あらゆる法や道徳に先んずる義の精神を描いたつもりである。
人間として踏むべき正しい道を、
われわれはわがままな日々の暮らしのうちに見失っているのではあるまいか。
もうひとつ、私は喪われつつあるナショナリズムを描いたつもりである。
この物語にある美しき南部の国が、
実はわれわれの祖国日本そのものであると理解していただきたい。
スクリーンを通して、これらのテーマが観客の胸に伝われば幸いである。
(浅田次郎・壬生義士伝・新撰組読本・映画「壬生義士伝」に寄す・文芸春秋)


 木下夕爾

「田舎の食卓」

乾草いろの歳月が燃される

僕のまわりで

あの蜜蜂の翅の音が

僕を煮る

悲哀の壷で

ああ とろ火で 

(詩とことば・荒川洋治・岩波文庫)


 木山捷平

濡れ縁におき忘れた下駄に雨がふっているような

どうせ濡れだしたものならもっと濡らしておいておいてやれと言うやうな

そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしていた

(詩とことば・荒川洋治・岩波書店)


 

クレー

”ミロは砂濱で風船を飛ばすようにして描く。無窮の空に舞う原色の紙風船”
”クレーは地下室の煉瓦の壁を引っ掻くようにして描いている。ぽっかり壁の奥に展ける処女地”
二十歳の頃、わたしはノートにこんな文句を書きつけている。
 彼が引いた数多くのデリケートな線の一本一本は、始めもなく終わりもないような性質のものであり、針金のように無機的でありながら、つる草のように生きている。
「芸術家は人間であり、また自ら自然でもある。自然のひろがりの中の一片の自然なのである」
「絵画とは見えないものを見えるようにすることだ」
「芸術家の役目は地味だ。そして樹冠の美は、彼自身のものではない。彼は単に美の仲介役にすぎない」パウル・クレー
(絵画の距離・池田龍雄・創樹社)

窪田空穂
 

鉦鳴らし 信濃の国を 行き行かば ありしながらの
母見るらむか


久坂葉子

     わがこひびとよ

わがこひびとよ われしなば
しろききぬにて まきたまえ
わがむなもとの きぬの上に
あかきはなおば のせたまえ
こひのしるしの あかきはな
つみなるこひの しるしにと

わがこひびとよ われしなば
あかきはなのみ あいせか

(夭折詩人。北栄社から詩集が最近出版。久世光彦氏の解説)

久世光彦

「昭和幻燈館」


久坂葉子 それは私の出逢った中でもっとも美しい、女の名である。「私にとって文学上の
嫉妬という言葉であらわさねばならぬ才能にぶっかったのは、久坂葉子氏ただひとりだった
のである。彼女はその当時から、私にないそして私の好きなすべての才能を持っていた。
(曾野綾子)」
戦後はほんとうに遠くなってしまった。あの時代とはもう縁を切ろうと思いつつも、目を閉じると八月15日の青すぎるくらい青かった空が蘇る。


草野心平

秋の夜の会話

 

さむいね。

ああ、さむいね。

蟲がないてるね。

ああ、蟲がないてるね。

もうすぐ土の中だね。

痩せたね。

君もずいぶん痩せたね。

どこがこんなに切ないんだろうね。

腹だろうかね。

腹とったら死ぬだろうね。

死にたかないね。

さむいね。

蟲がないてるね。

処女詩集「第百階級」 こ秋になり、冬眠しなければならない蛙のモノローグでできたこの

詩は、人間の寂しさとつながりあったものです。
金子光晴・作詩法入門・久保書店


 

 

 

建築でしかできないこと

膨大な時間と途方も無い検討と実践。そこに込められた想いに、人が、動物が、木々が包み込まれる。その感覚を共有するのは、建築でしかできないことなのだ
そして建築の構成要素である壁や床や天井は、人の生活とともにある。
だからこそ僕はこのような存在を大切に、恋するように、生活をしたい。
相手を見つめ、思いやる、相手も自分を見つめ、応えてくれる、そんな「恋する建築」を。僕は造りたい。
(恋する建築・中村拓志・アスキー)

 

言語

問題は、世界のすべてが全体としてかかわっているーーーというのは思想か事物か、あるいは言語かに属していないようなものは何ひとつこの世には存在しないのです。−−−秘密にあるということを考えるならば、要するに神ーースピノザのいう意味に解そうと、あるいはキリスト者のいう意味に解そうとーーにかかわるある秘密が問題なのだとすれば、この言語の聖なる性格には、もはやわれわれれをおどろかすようなものは何もないのであります。楽園は常にそこに在るように思われるのです。ただわれわれにはその姿をみることができないだけなのです。少なくとも、言葉が、われわれてにとってはその存在の証人なのであります。われわれの用いる、あるいはわれわれを用いる言葉や言語というものが。
(言語と文学・ジャン・ポーラン著・タルプの花・野村英夫訳・書肆心水社)

源氏物語

読み続けようとする興味。それは何に由来するのか。

作者の自分の素材に対する関心の一途さ、−沈着で普段で柔軟なある時代を生きるひと
としての一途さ以外には内容に思はれる。

簡潔で純粋な、生きた神経と屈伸自在さを共にする散文性がそこに成り立つ

寺田 透 足跡展望より)

ケンブリッジ歌謡集
 

「ケンブリッジ歌謡集」の大部分は、ドイツのライン川とモーゼル川の合流地点近くで作られた。
「カンタベリー歌謡集」と呼ぶのがより適切と言う。宗教詩と恋愛詩が数多くある。

     恋人の誘いの歌


このような酒宴も 甘美な語らいほどに

僕の心を 楽しませてはくれないし、

これほど豊かな御馳走さへも、

睦み合うことほど 嬉しくはないのです。

愛する人よ やがてすることを

ひきのばしても 楽しいことなどありましょうか、

いずれすることは すぐ行うがよく、

僕には一刻の猶予も 耐え難いのです。

さあ 急いで、愛する妹よ

そして   わが恋人よ

僕の瞳の輝く光よ

はたまた僕の心の愛のすべてよ

   
(瀬谷幸男・完訳 ケンブリッジ歌謡集)

傑作

岡本かの子「母子叙情)
林房雄)
川崎長太郎「蝋燭」
森敦「月山」

(私小説という哲学・岡庭昇・平安出版)

現代詩

 現代詩は、その叙情の科学に「批評」の錘を深く沈めていることによって、短歌や俳句の詩性と区別される現代の歌であることをわすれてはならない
小野十三郎・「若い人のための現代詩」安水稔和・教養文庫)

芸術の本質

世界をどのように見るかです
芸術は自然から出発しなければいけない。つねに自然に帰らなければいけない。内臓は内なる自然である。人は内臓なしには生きられない。そこに意識に上らない世界が活動し続けている。内臓には生命進化の記憶が刻み込まれ、宇宙のリズムが生きている
(布施英利・絵筆のいらない絵画教室・紀伊国屋書店)

芸術を見る

信解・情解・知解でわからなくてはいけない。経典の場合も同じ。
信解:真正であることをいささかも疑わないこと。
情解:気持ちがよくなり、清々しくなり、ひろびろとした気持ちになること。
知解:内容が論理的によくわかる。
色界の眼、無色界の眼でも見るという重層立体的な見方をしなければならぬ

紀野一義・「般若心経」を読む・講談社)

 


 

小島なお

すっぽりとタートルネック着たわれはきみに気づかぬふりをしている

なんとなくかなしくなりて夕暮れの世界の隅に傘をわすれる

その場所を愛しつづけて公園のきんかんの実は重くなりゆく

(歌集 乱反射 小島なお 角川書店)

 

孤独と友人

アベル・ボナールが「友情論」でいみじくも述べているように、人は年をとるにつれて、自己とともにーーー自己とともにのみ生きるすべを学ぶ。
ボナールの師であるモンテーニュも書いている。
他人のために生きるのはもうたくさんだ。せめてこのわずかな余生はわれわれ自身のために生きようではないか。
われわれの真の自由と、かんじんかなめの隠退と、孤独とをそこに打ち立てるべき、全く自由な店裏を、自分のために取っておかなければならない

(閑適集・大塚幸男・第三書房)

言葉

言葉についてということは、文学についてということなのだ。なぜなら一方は他方なしには成り立たないからである。完璧さというものがわれわれを不安にするのは、単に書物の中ばかりではなく、会話においても全く同様である。「真面目にしてはあまりに雄弁すぎる」とか「本当にしてはうまく言われすぎてる」と我々は考えてしまう
〔言語と文学・ジャンポーラン著・「タルプの花」野村英夫訳・書肆心水社)

言葉

ここで簡単に二つの点を指摘しておかなければならない。一つは、恐怖政治は一般に観念のほうが言葉より価値があり、精神のほうが物質よりも価値があると認めることである。すなわち、両者の間には性質の相違に劣らず品位の相違があるというのである。これがその信仰であり、あるいはむしろ、その偏見なのである。
第二の点は言語は思想にとって本質的に危険なものであり、見張っていないと絶えず思想を抑圧しにかかるものだと既定することである。「テロリスト」について与えうるもっとも簡単な定義は、言葉嫌いだということだ。
(言語と文学・モーリス・ブランショ著・内田樹訳・書肆心水)

古書の値

1.その本の持つ価値(価値性=V)
2.珍しさ、少なさ(希少性=S)
3.保存の良否(保存性=C)
4.流行の変遷(流行性=P)
(反町茂雄)
(古本暮らし・萩原魚雷著・晶文社)

 

ゴンクール
 

日記 に浮世絵研究が重要な部分を占めているとのこと。
(内藤洗濯・落穂拾いの記。岩波書店)

小沼丹

ものを書くということは、ある部分を切り取るということなのである。
散々言い尽くされてきたことではあるが、小沼丹の作品の中核を為すのは、この『ノスタルジ』である。薄れゆく記憶の中に、懐かしい人々の顔や出来事を探し求める。ではあるが、小沼は、感傷とは無縁の、硬質な1人称の文体でこれを見つめる。諦観ともいえる1歩引いたその眼差しは、わたしにとても心地よい。
(小沼丹についてインターネットの記述)

言語道断


言葉での表現がまったく不可能な世界観を示す。「道断=言わず」という原成公案(真理は常にすべての存在の上に、ありのままにはっきりとあらわれている)道元。デザインは形態言語、造形言語を保持していなければならない。形態を取り囲んでいるボキヤブラリーが、その「かたち」をきわめて「存在の効能性」を物語るはずだ。「ことばで語りきれないからこそ、それをかたちにデザインしたい。言語道断なる美を、デザインで創り出していきたい。
デザインは言語道断・川崎和男。(株)アスキー

河野与一

語学の神様と尊敬される河野与一が、岩波文庫で出している「プルーターク英雄伝」や「クオヴァディス」など読み通せる人がもしいたら、その忍耐力は人間ばなれしている。原文に忠実で正確かもしれぬが、日本語の表現としては、文章感覚の関節がはずれていて、コンピュータがものを言っている調子、読めたものではないのである。
論より証拠・谷沢永一。潮出版社)


骨壷

 
骨壷の子もきけ虫が鳴いている

(土門 拳

小林秀雄
林秀雄初小期文芸論集    岩波文庫

コーヒー

外の景色が雨に靄っていれば言うことはない。梅雨模様の柔らかい雨は、コーヒーによく合うような気がする。
人生の味とはなにか。弱肉強食の動物が共通の水場から水を飲むように、しばし人生の休戦地帯になる飲食物がそばでありコーヒーである。
コーヒーは朝と雨の午後などが特にうまい。見知らぬ街角に魅力的なカフェのドアを見つけると、つい押したくなってしまう。
森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)

恋の歌は恋の実際より美しい。

「深海の真珠と化して」(森村氏)

「恋の旅」(私)

森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)

谷神(こくしん)

谷神は死せず、是を玄牝と謂ふ。玄牝の門、是を天地の根と謂ふ。綿綿として存するが如し之を用ふれども勤きず。(老子)

 小島信夫

「うるわしき日々」

小林一茶

蝶とぶやこの世に望みないように

むつましや生まれかはらばのべの蝶

手枕や蝶は毎日来てくれる

寝るてふにかしておくぞよ膝がしら

葎からあんな小蝶がうまれけり

こころ

内臓の世界がつくりだす「気分」を「こころ」という。(三木成夫)脳科学者が言う「こころ」と
は意識のこと。三木成夫は、脳が見ている「内臓」を重視した。内蔵の「こころの世界」に
人間のこの宇宙のもっとも大切なものがあると考えた。内蔵は限りなく豊かな世界で、固有
の時間がありリズムがある。内臓感覚の世界は、幼い子供たちが、言葉も十分に使えない
代わりに見えている世界と、表裏一体のもの。
布施英利・絵筆のいらない絵画教室・紀
国屋書)

 

 

 

 
 
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