文芸辞典 (は〜ほ)
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橋本多佳子
(1899-1963)
1899年(明治32年)1月15日 - 1963年(昭和38年)5月29日)



  . 箸とるとき はたとひとりや 雪ふり来る

taking up chopsticks
I am all alone--
it snows and snows

Tr. Ueda

 雪はげし 夫の手のほか 知らず死ぬ

the fierce snowfall--
I'll die having known no hands
other than my husband's

Tr. Ueda
 . .

 雪はげし 抱かれて息の つまりしこと

Gasping for life, choked by his
embrace
as it happened...the storming snow

Tr. Eiko Yachimoto

. 雪はげし 書き残すこと 何ぞ多き

it snows hard...
how could it be enormous what I must
write before dying?

Tr. Takiguchi

 わが息の かすかに白く 生きるはよし

my own breath
is slightly white -
good to be alive


 雪の日の 浴身一指 一趾愛(いと)し

on a snowy day
my bathed body, a finger
a toe--I love all of it!

Tr. Makoto Ueda

source : Translating Haiku Forum. より)
 

破墨法

淡墨で描き、濃墨で調子を引き締める
破墨法とは、淡墨で絵の骨組みを描いたあと、強い筆勢で濃墨をいれてゆく技法である。濃墨で描くときは山馬筆のような硬い毛質のものを用いて、墨をなすりつけるように描く。下の淡墨の描写が生乾きか、十分に乾いてから濃墨をいれる。
逆筆で荒々しい強さを出す。
ふつう右手で描く場合は、左から右へ、上から下へと運筆する。それを逆に、右から左、下から上へ描くことを逆筆という。穂先が乱れ、荒く力強い線が引ける。破墨法で、勢いよく、濃墨をいれるときなどに活用できる。
水墨画ノート・基礎・川崎春彦、牧進、石川響、那須勝哉・デザイン研究所)

芭蕉

野分して盥に雨を聞く夜哉

侘てすめ月侘斉がなら茶歌

芭蕉は俳諧の真髄を「わざとも侘びてこそ住むべけれ」という姿勢におこうとしている」
芭蕉のわぶには17世紀の都会(江戸)で経験した「貧しさ」によって引き起こされた感慨がこめられていることを忘れてはならない。自分を貧乏人の底辺に置き、それの味わうわびしさの感性を、日本の誌の世界に定着させようと懸命になるのである。
(近世考 西鶴・近松・芭蕉・秋成 日暮聖著 影書房)

 長谷川利行 放浪の天才画家

人知れず 朽ちも果つべき 身一つの いまがいとほし 涙拭わず

己が身の 影もとどめず 水すまし 河のながれを 光りてすべる

                                  利行短歌

地位肩書きがなくとも 民族の中に 不滅の芸術を 残すことができる  
                                  木村東助

画家は自らの命、あるいは魂を、病院の点滴のように作画のなかに移し、自分は現世から焼場の煙と共に消え去っても、作画に移った命は永遠に生きてゆく、そこに俗人とは異なる天与の使命があるのです

                                               木村東助

長谷川利行 作品画像

(長谷川利行展・1976年・毎日新聞社、日本橋三越)

 

 

パレルモの植物園

いかにも人間とは反対に、頭を大地に深く突っ込み、逆立ちして生殖器(花)を上のほうにさらけ出している植物たちの集団は、私たち人間に、人間の状態への根本的な反省を強い、かくて有機体のモルフォロギア(形態学)に関する真理を啓示するものであるかのごとくである。
かくて私のパレルモの印象は、一口に言えばフローラ、植物なのである。

(イタリアの夢魔・渋沢龍彦・門川春樹事務所)

 

バーナードリーチ

Sheep are nibbling the grass

On Romney March

Would I had a pillow

On Romney March

Where flat winds blow through willow


Love's door is shut on Christmus day

My heart is full on Chritmus day

Of  what has been ,great seas between

(日本絵日記・バーナードリーチ・講談社学術文庫)

 パクス・ヤポニカ

日本文明とは何かーパクスヤポニカの可能性」「環境と文明ー新しい世紀のための知的創造」(山折鉄雄氏)

日本史における平安時代350年間と江戸時代270年間の二つの平和の時代をさしています。
パクス(pax)とはラテン語で「平和の女神」という意味です。「パクス・ロマーナ」「パクス・ブリタニカ」
日本流の平和をはぐくんだ歴史的背景を見ていくと。「女」「美」「森」の重視に特徴があるように思います。
(文化力・川勝平太・ウエッジ)

話しかた

実際、楽しませたり、ものを教えたりするために誰かに話しかけるのとーーー指導したり影響を与えたり、つまり一言でいえば動かすために話しかけるのとでは全く別なのだ。このことは他動詞的な話し方と自動詞的な話し方との相違というものによく現われていよう。
(言語と文学・ジャンポーラン著・「タルプの花」・野村英夫訳・書肆心水社)

 

タルプ市の公園の入り口には、次のような掲示がでている。

花を手にして

庭園に入ることを

禁ずる

今日では、文学の世界の入り口にもそれが見られるのである
つまり紋切り型とは、われわれにとって、言語が不意に精神の機先を制して其の自由と自然な働きとを束縛しようとする徴となつているのである
(言語と文学・ジャンポーラン著・「タルプの花」・野村英夫訳・書肆心水社)
花:文学の常套句・紋切り型:知的な紋切り型・生き生きとした紋切り型

 春になったら

春がきたのに、さよならね・・・・

春になったらという約束を、私だって何度したかわからない。そして数知れないそんな約束の

うち、いったい幾つが果たされたことだろう。

触れもせで・久世光彦・講談社

萩原朔太郎(1886−1942)
 

我が国の近代詩は、ヨーロッパの詩の形式・思想を借りて、新体の定型詩として出発した。その後いわゆる象徴詩を経て、大正初年代に口頭自由詩に転換する。この過渡期のもっとも重要な詩人の一人である。「月に吠える」「青猫」「純情小曲集」「氷島」
(
詩的レトリック入門・北川透。思潮社)

艶かしい墓場

風は柳をふいています
どこにこんな薄暗い墓地の風景があるだろう

どうして貴方はここに来たの
やさしい 青ざめた 草のようにふしぎな影よ
貴方は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡霊よ

妹のようにやさしいひとよ
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 真理でもない
さうしてただなんという悲しさだろう

室生犀星の言葉

虚無の世界で、たえず明かりを見ようという希こそ、彼の生涯をつらぬいた逞しい意欲であったのである。

萩原 葉子

閉ざされた庭 萩原葉子著 新潮社 装画 阿部 合成(代表作「見送る人々」で知られる画家)画家の阿部合成(1910〜72年)です。戦後、シベリア抑留から帰ってきた。「反戦画家」という肩書のほか、「無頼派」「酒乱」などと呼ばれた人ですが、本当に真摯(しんし)な人。「君は気持ちじゃなくて、頭で描いてるからダメなんだ」と言った。「陸(み)っちゃんのを見ろ。きれいだと思って描いてるよ」「ほれて描け」とよく言っていた。それはほれて生きることです。)

「何もしてくれなくても良い、ただ夫がそっと身体を包んでくれれば、女の幸福が得られるのに、」(閉ざされた庭

 
橋田東声

なきかわす 雲雀のこゑの いや高まり 空いちめんの 夕焼けとなる


パスカル


 「自分がみじめな存在であることを知るのは情けないが、しかし、その情けなさを知っているところに、かえって人間のえらさがある。」
内藤濯・落穂拾いの記。岩波書店)


芭蕉(1644−94)


江戸時代前期の俳人。初め貞徳門の俳諧から入り、談林に移ったが、やがて独自の蕉風を確立した。芭蕉の風雅観の誠は、不易流行の説として示されている。詩の本質として、変わらざる不易を維持しようとすれば、時代によって変化していかざるをえない、その不易が変化としてあらわれる、ことばの姿を説いた。

忘るなよ藪の中なる梅の花

あら海や佐渡によこたふ天の川


詩的レトリック入門・北川透。思潮社

俳句をダメにした俳人たち

俳人たちが互いにほめけなし自分の城を築きまもるさま。俳句のみで暮らしは立たず、世間並みの職業を持つため、意識が混濁するのか。俳人たちの実像の一端を見せてくれる
(志摩芳次郎著 中央書院)


 人生の 橋渡りても 彼岸なし

人生に無数の橋があっても、あの世とつなぐ橋はない。この世限りの渡橋、渡り終えても、この世の岸である。
森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社

長谷川利行碑 1969年10月15日序幕式

 東京上野不忍池に自然石「利行碑」熊谷守一署名。


人知れず 朽ち果つべき 身一つの いまがいとほし 涙拭わず


己のが身の 影もとどめず 水すまし 河の流れを 光てすべる

                       利行短歌
有島生馬の筆
(ソクラテスの琴・堀巌・沖積社)

 花木槿

 それがしも其の日暮らしぞ花木槿

小林一茶

俳諧の本

 鬼才「荻野清著作集」
中村俊定校訂「芭蕉俳句集」(岩波文庫)
「蕪村全集」(講談社の歴史に残る記念碑)
(紙つぶて・自作自注最終版・谷沢永一・文芸春秋)


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美術に王道なし

 絵描きという仕事は、誰に頼まれるのでもない、自由業の典型で、食えないからといって、人を恨んだり、けなされたといって泣きごとを言うことができない世界である。「美術に階級なし」(立軌会)
(サヨナラだけが人生だ・安野光雅・恒文社)

 

人の上言う

 人の上言ふを腹立つ人こそ、いとわりなけれ。いかでか言はではあらむ。わが身をば差し置きて、さばかりもどかしく言はまほしきものやある。
[枕草子)

表象不可能性

 具体的には「語りえないものをいかに語り伝えるべきか」あるいは「語りえないものとはそもそも表現できるものなのか」というほどの問題だと、ひとまずお考えください
(崇高の美学・桑島秀樹・講談社選書メチエ)

美学

 論理学など理性によって合理的に物事を認識・弁別する学問に対して、むしろ「感性による認識をおこなう学」を意味する学術用語。
旧約聖書「楽園追放」の物語。蛇のそそのかしによって禁断の木の実を食べたとき、逆に人間が得たものもあったのではないでしょうか。具体的には、感覚的な「快」の感情と倫理的な「罪」の意識です。つまり、人間は、時間のなかで現実を生きる「死すべき存在」へと堕したからこそ、かえって「美」と「道徳」にまつわる感性をを獲得したのだと積極的に捉えることができるのではないでしょうか。(ミルトン・失楽園)
(崇高の美学・桑島秀樹・講談社選書メチエ)

ひとりでは多すぎる

 アメリカの女流作家、ウィラ・ギャザーが
「ひとりでは多すぎる。ひとりでは、すべてを奪ってしまう」ということを書いている。この「ひとり」とは恋人のこと。相手がひとりしかいないと、ほかが見えなくなって、すべての秩序を崩してしまう、というのである。
(思考の整理額・外山滋比古・ちくま文庫)

  ヴァルモール夫人

  サアデの薔薇

 この朝君に薔薇を捧げんと思ひたちしを、
 摘みし花むすべる帯にいとあまた挿み入るれば
 張りつめし結び目これを抑ふるにすべなかりけり。

 結び目は破れほどけぬ。薔薇の花、風のまにまに
 飛び散らひ、海原めざしことごとく去って還らず。
 忽ちにうしほに漂ひて、行手は知らね、

 波、ために紅に染み、燃ゆるかと怪しまれけり。
 今宵なほ、わが衣、あげて移り香を籠めてぞくゆれ
 吸ひ給へ、いざわが身より、芳しき花の思ひ出

 Les Rose de Saadi

  J'ai voulu te rapporter des roses:
  Mais j'en tant pris dans mes ceintures closes
 Que les moude trop serrse n'ont pu les contenir

 (斉藤磯雄 フランス詩話 新潮社)

 ヴィルドラック
 

ミシエル・オークレール

 小さな我もそのままにして労わって、大きな我に生きようと努力するミシュエルのような人こそ、新しい時代の先達とならなくてはならぬ。
「うだつの上がらぬ人々、その日暮らしの人々の感情を、赤裸に単純に描くのが、自分にとって抜き差しならぬことだ」
(内藤濯・落穂拾いの記。岩波書店)

ひいきの作者


 われわれは自分のささやかな家に一人のひいき作者の書物の一群を蓄えることによって、余裕、あるいはゆるやかな気持ちの楽しみをもつことができる。
論より証拠・谷沢永一。潮出版社


美術館

 美術館は、喜びを与え、人生を豊かにし、真の芸術家のように美を見る眼を養う。
ダンカン・フィリップス

"a joy-giving life-enhancing infulence,assisting people to see beutifully as true artist see

フィリップス・コレクション展(2005年6月17日ーー9月14日TB森アーツセンターギャラリー)主催者あいさつより

平等と自由

 私にとって平等とは「誰でも世界で一番自分が大事」ということです。私が大事なように、あの人も自分が一番大事なのだから、あの人も大切にしなければいけない。
また自由とは、私的には「自分以外の何者にもなりたくない」という思いです。
田中美津・かけがいのない、大したことのない私・インパクト出版会)

微笑

 ひとを思い出す。そのとき、まずきまって思い出すのは、その人のどんなことより、なぜかその人ののこした微笑で、微笑は、どんな表情よりひとのこころにはたらきかける不思議な作用をもっています
(すべて君に宛てた手紙・長田弘・晶文社)

 美とは、生きている感じだ。〔ロダン}
布施英利・絵筆のいらない絵画教室・紀伊国屋書店)

ピカソの最大の功績

 「子供の発見」です。芸術の世界では子供とは才能そのものです
(布施英利・絵筆のいらない絵画教室・紀伊国屋書店)

 


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藤原 俊成(平安後期ー鎌倉初期の歌人)

 夕されば 野辺の秋風 身にしみて うずらなくなり 深草のさと(千載和歌集)

 をきあかす 秋のわかれの 袖のつゆ 霜こそむすべ 冬やきぬらん
(新古今和歌集)

 

文学

 美と倫理の断片をしっかり握りしめる。牧野信一「スプリン・グコート」のハイカラ趣味や、なまめかしい女房の妹の描写。嘉村磯太の酔ったあげくの禅話風のクダ。「おせいさん」梶井基次郎の「闇の絵巻」の美しさには身体もとろけるごとくなる。彼らは実に、よくやった。やってくれた。残された小さな結晶の破片の固さに、指先をふれるたびに、感激の念をもつてそう思うのであつたが、荒涼たる浜辺で拾いあげた、貝殻の美しさに見とれているには背後の大海のとどろきが、高まりすぎているのであつた。堀辰雄「菜穂子」。バルザックの短編「ザクロ屋敷」色鮮やかな小宇宙。中島敦「沙悟浄」
(武田泰淳・文学を志す人々へ・武田泰淳集・影書房)

文化的景観
文化財保護法・重要文化的景観

 人間の心の働きを宿し、聖なるものの存在を感得させる自然も文化財です。人間が心を通わせ、畏れ、賛嘆し、感動する自然は、聖なる文化的景観であり、破壊の対象になりません。文化的景観の設定は、地球環境の保全のための有力なひとつの方法です
(文化力・川勝平太・ウエッジ)

文化、文明

 文化、文明に生粋のものなどありえないのである。文化、文明は、すべて異質なものとの衝突、挑戦、敗北、占領、同化、異化、克服の歴史なのである。たとえば、奈良に行ってそこに何を見るか。むしろそこにインド、ペルシャ、中国、朝鮮の文化、文明の波が押し寄せて来て、その波の遺していったものを見る人の方が健康な眼を持っている言える筈である。
(堀田善栄・戦後文学エッセイ選11・影書房)

ブルー

 ブルーは諸君がそこにはいりこむと消える。赤は決してそういうことをしない。大気でできているものは、いずれも私たちがそれを見るために自分自身の外に出るならば、コバルト色に見えるだろう。ブルーの国は澄み切っている。
(ブルーについての哲学的考察・ウィリアム・ギャス・須山静夫・大橋ふみ子訳・論創社)

文学

 ポーランも「タルプの花」のなかでいっているように、、おそらく文学は、前衛であろうと保守であろうと、それが文学である限り、「われわれを当惑させるようにでき」ていなければならないのである
言語と文学/
タルプの花/ジャン・ポーラン・野村英夫訳・書肆心水

 

古泉千樫
 

 冬の日の 今日あたたかし 妻にいひて 古き硯を 洗わせにけり

 こころよき 夏来にけりと いふがごと まともに向ける 矢車の花

プールジェ(1852−1935)

弟子

 19世紀初頭のドイツの復活が、何よりもまず魂の仕事だったことを知っていただけに、ただ頭だけの空疎な仕事が、古いフランスの反復に過ぎぬことを後輩に覚らせるうえにも覚らせること、それこそは、プールジェが「弟子」を筆にした打消しがたい動機だったのである。
内藤濯・落穂拾いの記。岩波書店)

フィガロの結婚

俳優座

 台本、内藤濯、八代静一、青山杉作、小姓シェリバン役は楠田薫。演出千田是也。
ピカデリー実験劇場。

ブコウスキー


 チャールズ・ブコスキー(1920−1994)「無頼派作家」さしずめ坂口安吾、太宰治、織田作之助といった感じの作家。ヘンリーチチスキー(長編小説の主人公=作者分身)の身勝手さ、脆さ、弱さ、狡さ、甘さ、好色、傲慢、優柔不断などを赤裸々に描き切ることで、人間(とくに中年男)のもつ哀感を浮かび上がらせた「詩人と女たち」(中側五郎訳)はブコスキーの特色をもっとも如実に表している。

「勝手に生きろ」彼は常に「人間の本質」を描いている。」彼の長編小説では「生」と「性」しか描かれず、「暴力」や「死」に関する考察はすべて短編のモチーフになっている。彼の短編集は二冊あるが」、「玉」と思える一編は長編小説一作にも匹敵するほどの痙攣的な美と毒に満ちたスリリングな作品ではあるけれど、大半は駄作としか言いようがない。おそらく生活費のために大量に書き散らしたためだと思う。
「くそたれ 少年時代」
(ぜんぶ本の話・安原顕。ジャパン・ミックス)

蕪村(1716−83)


江戸中期の俳人・画家。丹後の与謝で画業にはげみ、画家としての声価を得た。それと共に俳諧の境地も著しく進み、やがて印象的浪漫的な清新な俳風で一派を成した。「春風馬堤曲」は、藪入りの娘に仮託して、自らの郷愁を表現しているが、発句体・漢詩体・漢文直訳体の三体を組み合わせて一編となし、近代詩にも通じるずみずしい叙情を表現した。

しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

妹が垣ね三味線草の花咲きぬ

月天心貧しき町を通りけり

鶯の鳴くやちいさき口開けて

やぶ入りの夢や小豆の煮えるうち
詩的レトリック入門・北川透。思潮社

ブルー


 「ブルーという色は不思議な色です。」「ブルーという色は、どれほど、多くの言いたいことをかくしているであろうかーーーー」
佐野ぬい展ー遠い様式・青の構図
「佐野ぬいブルー」が大きな声を上げる時、補色の赤がどこかで小さくつぶやいている。
朝日新聞)


冬ぼたん

 この恋の行末知らず冬牡丹

黒田杏子


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平城帝(平安前期の歌人)

 故里と 成りにしならの 宮こにも 色はかはらず 花は咲きけり(古今和歌集)

 あをによし 寧楽の京師は 咲く花の 薫ふがごとく 今さかりなり(万葉集)

 



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  • ホイットマン

  •  彼は本文(草の葉初版)29ページで「粗野なアメリカ人ウオルト・ホイットマン」について語っているが、「わたしは1819年5月1日に生まれた。身長は6フィート、1855年で三十六歳になった。−−わたしはひとり百姓であり、機械工であり、芸術家であり、紳士であり、船乗りであり、クエーカー宗徒であり、囚人であり、間男であり、碌でなしであり、法律家であり、医者であり、僧侶である」とうたっている
    (本の世界 庄司浅水著 毎日新聞社)
  • 豊 子

     中国語訳源氏物語の作者
    挿入和歌の訳 五言絶句 七言二句 
    「縁緑堂随筆」吉川幸次郎訳 吉川全集にある
    (緑色の時間のなかで 中村真一郎著 筑摩書房)

  • 放浪記

  •  
    「海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海がなつかしい」放浪記・林芙美子
    (定食と文学・今柊二・本の雑誌社)
  • 本を読む
  • 本を読むのに、何の手間もいらない。読みたい本のペ−ジを開けば、すむ。けれども読みたいのだが、新規の本に目を通すのは億劫だ、という時がある。こんな時は読書にもエネルギ−が必要なのだな、と感じる。
  • はじめて読む本はあきらかに緊張しているとわかる。肩のこらない小説本でも同様である。
  •  こういう時は「勝手知ったる」本をてにとる。適当に開けたペ−ジを拾い読みする。
  • 読んでいるうちに、エンジンが温まってくる。はずみがついたら、読みたいと思っていた新しい本に乗り換える。
    (出久根達郎。日本古書通信2010年2月号}
  • ほころびのある美

  • 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。
    いと濃き衣の上曇りたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、まことしう清げなる人の、夜は風の騒ぎに寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋より少し、ゐざり出たる、髪は風に吹きまよはされて、すこうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。
    (枕草紙・坂口由美子・門川ソフィア文庫)
  • 濹東綺譚

  • 空と町のさまとを見ながらゆきかけると
    いきなり後方から「檀那、そこまでいれてってよ。」といいさま、傘の下に真っ白な首を突っ込んだ女がある。油の匂いで結ったばかりと知られる大きな潰し島田には長めに切った銀糸をかけている。・・・・
    「今年はほんとに、いつまでも暑いな。」と云った時、お雪は「鳥渡しずかに」と云ひながらわたくしの頬にとまった蚊を掌でおさへた。・・・・・
    いつも島田か丸髷にしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊の鳴く声とは、わたくしの感覚に著しき刺激を与へ、三四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。・・・・
    わたくしとお雪とは、互いに其本名も其住所をも知らずにしまった。唯濹東の裏町、蚊のわめく溝際の家で狎れ暱んだばかり。
    一たび分かれてしまへば生涯合い逢ふべき機会も手段もない間柄である


    君と別れしわが身ひとり、

  • 倒れ死すべき鶏頭の一茎と

    ならびて立てる心はいかに

    濹東綺譚画譜・永井荷風作・木村荘八画・飯塚書店)

     法律

    The Law isn’t justice。 I’ts very imperfect mechanism。
    A mechanism is all the law ever was ever intended.

    法律は正義じゃない。それは極めて不完全なシステムなのだ。
    法律というものが本来目指しているのは、メカニズム以上の何ものでもないんだ

    (ロング・グッドバイ・レイモンド・チャンドラー著・村上春樹訳・早川書房)

     堀 辰雄

    詩人立原道造の師
     

    僕は歩いていた
    風のなかを

    風は僕の皮膚にしみこむ

    その皮膚の下には
    骨のヴアイオリンがあるといふのに
    風が不意にそれを
    鳴らしはせぬか

    この村はどこへ行っても いい匂いがする
    僕の胸に
    新鮮な薔薇が挿してあるやうに
    そのせゐか この村には
    どこへ行っても犬がいる

    「昭和28年、50歳で逝去したが、十数年に亘る病苦と格闘した勇敢な人である。それにしてもたえ子夫人の看取りがなかつたら、彼はあんなに永く生きていられなったであろう。
    室生犀星)」

    ボードレール


    悪の華




    本物


    近代は「複製されたモノがいっぱい登場した世界」として成り立ってきた。これ一点のみ、という存在があり得ない世界に生きている。だからこそ、これ一点へのこだわりを最も刺激する満足度の高いモノを手に入れたいという所有欲が、本物志向の文脈で語られる。
     本物の自分、本物であるべき自分とは、どういう存在なのか。やはりデザインのためにスケッチを描いている自分こそ本物の自分だと感じる。
    私はスケッチすることで、それをイマジネーションから引き出し、実在のモノにできる社会的立場にある。これが本物の私であり、自分の本物性だけは守り抜いて、「生きている」ことが必要だと思いたい。本物の生活とは何かという答えは、取り囲まれているモノと、それを選んだ自分らしさで決定するだろう。
    (デザインは言語道断」((株)アスキー)川崎和男著)

    本を読む

    一冊の本がみずからその行間にひそめるのは、その「今」という時間の持つ奥ふかい魅惑です。その本に生きている今という時間を読むということです。

    (すべて君に宛てた手紙・長田弘・晶文社)

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