文芸辞典 (あ〜お)
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アポリネール(Guillaume Apolllinare1880-1918)

LE PONT MIRABEAU

Sous le pont Mirabau coule la Seine

      Et nos amours

  Faut-il qu'il m'en souvienne

La joie venait toujiours apr'es peine

     Vienne la nuit  sonne l'heure

    Les jours s'en vont je demeure

   ミラボウ橋の下を セーヌは流れ

 私の恋もまた どこに

 思い出さねば ならないのか

 喜びはみな 苦しみののちに来た

 

 夜よ来い 鐘よ鳴れ

 日は過ぎて 私は残る

 

 

アルセイニー・タルコフスキー(詩人・1907−1989)

燃え尽きた一本の蝋燭

僕は蝋燭、僕は宴で燃え尽きた。
朝になったら僕の蝋燭を集めてください、
するとあなたにそっと教えるでしょう、この
一頁が、
いかに泣くべきか、何を誇るべきか、
最後に残った楽しみの三分の一をいかに
みなに分け与え、安らかに死を迎え、
そしてたまさかの宿りのもと
言葉のごとく、死してのちいかに燃ゆるべき
かを。

(雪が降る前に・アルセーニー・タルコフスキー著・坂庭淳史訳・鳥影社)

Alcohol

'Alcohol is like love,'he said. 'The first kiss is magic. the second is intimate, the third is routin. A
fter that you take the girl's clothes off..'
(THE LONG GOOD-BYE/RAYMOND CHANDLER/PENGUIN)

遊び相手

十返肇が死んでしまって、身のまわりがさびしくなった。
作家の遊び相手として、あのくらいつきあいのいい批評家というものはいなかった。私はここで、この、遊び相手ということばを、軽いものとして言っているのではない。
文学、芸術に、遊びの要素というものは不可欠であり、かつ必然であるとするならば、それにつき合う批評家というものも、腹をきめた遊び相手でなければならぬ。腹のきめ方にもいろいろあるであろう。学問であるとか、歴史というものを一方に睨みながらつき合って行くというきめ方もあり、十返君のように学問歴史関係なしとして、つねに現在の時間を遊泳して行くことに腹をきめるという法もあった。
(堀田善衛・戦後文学エッセイ選11・影書房)

鮎川信夫

きみがいたすべての場所から
きみがいなくなっても
この世のすべては変りない

あってなきがごとく
なくてあるがごとく
欄外の人生を生きてきたのだ
(「宿恋行」「地平線が消えた」)
(古本暮らし・萩原魚雷著・晶文社)

安西冬衛

   

てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった。

(柴田翻・詩に誘われて・ちくまプリマー新書)

 

アミエルの日記

フレデリック・アミエル(1821−1881)


{「夢想を事とするは、夜の雨のごとし、昼の暑さに倦み疲れて蒼白なれる思想もまた、緑の
色に浸ればなり。」
河野与一訳)}


哀惜

{哀惜とは、自分の中に密やかにいだいている悲しみの情である。どこか優しさに通じる要
素が宿っている。

さまざまなこと思い出す桜かな  芭蕉

観音の大悲の桜咲きにけり    子規

(川崎和男著「デザインは言語道断」((株)アスキー))

荒川洋治 詩人1949年 福井県


詩のかたち 行わけ  そのひと 並べる メモの世界 くりかえし リズム 詩に飛躍はない。
は個人の思いを、個人のことばで伝えることを応援し、支持する。
詩は読む側に立つだけだと、いつまでも、無縁のもの、遠いもの、見えないものになる。その
詩の作者になってみてはどうか。
詩というものは、実にきわどいものだ。才能のある人が必ずしも評価されない。
詩は、曲がつかない。だから、はじめからはずかしい。
とのかかわりがなくなってから、人の心が変わったのではないか。
詩がフィクションであるという詩の基本をあらためて確認し、詩が過剰に「私物化」され
る動きをくいとめなくてはならない。
(「詩とことば」  2004年12月16日 第一刷 岩波書店

饗庭孝男

アベラールとエロイーズ  存在そのもの愛
エロイーズの愛  「あなたと離れて決して存在することのできないただ一人の私の心」
アベラール 「論理学者であり、キリスト者たることの主張、愛よりも論理が優先」
(『新版フランス文学史』白水社「西欧と愛」 小沢書店昭和 59年2月20日

網野善彦

日本中世史研究家
「無禄・公界・楽」

 
有元利夫

「花びらが降る、というと人によってさまざまなことを連想するでしょうが、僕の絵の場合の降
る花舞う花びらは、まさにエクスタシーそのものです
。花は、洋の東西を問わずおめでたい
歓喜の時に降ってくるものなのです。インドの花まつり、ボッティチェリの《春》にしてもそう。」
「古典的な画調をメルヘン的な甘美さに溶かしながら、今日風のデザイン感覚とつないでいるところが魅力であろう。--河北倫明」
目標はときかれて、「雅、放胆、枯淡、稚拙、純、省略、不整美、無名色、無造作というような要素を自分のなかに持つことです.....」
(花降る日・奥さんによる評伝)

アナベル リー(ポーの詩)

Annabel Lee

by Edgar Allan Poe, 1849
It was many and many a year ago,
In a kingdom by the sea,
That a maiden there lived whom you may know
By the name of ANNABEL LEE;
And this maiden she lived with no other thought
Than to love and be loved by me.

I was a child and she was a child,
In this kingdom by the sea;
But we loved with a love that was more than love-
I and my Annabel Lee;
With a love that the winged seraphs of heaven
Coveted her and me.

And this was the reason that, long ago,
In this kingdom by the sea,
A wind blew out of a cloud, chilling
My beautiful Annabel Lee;
So that her highborn kinsman came
And bore her away from me,
To shut her up in a sepulchre
In this kingdom by the sea.

The angels, not half so happy in heaven,
Went envying her and me-
Yes!- that was the reason (as all men know,
In this kingdom by the sea)
That the wind came out of the cloud by night,
Chilling and killing my Annabel Lee.

But our love it was stronger by far than the love
Of those who were older than we-
Of many far wiser than we-
And neither the angels in heaven above,
Nor the demons down under the sea,
Can ever dissever my soul from the soul
Of the beautiful Annabel Lee.

For the moon never beams without bringing me dreams
Of the beautiful Annabel Lee;
And the stars never rise but I feel the bright eyes
Of the beautiful Annabel Lee;
And so, all the night-tide, I lie down by the side
Of my darling- my darling- my life and my bride,
In the sepulchre there by the sea,
In her tomb by the sounding sea.


 

 遊び

人類文化の本質は帰するところ遊びなり ホイジンガー「ホモ ルーデンス
(高橋英夫・本の引越し・筑摩書房)

 会津八一

学規四則

1.深くこの生を愛すべし

2.省みて己をしるべし

3.学芸を以って性を養うべし

4.日々新面目あうべし

 芥川龍之介「玄鶴山房」

芥川の言う中産下層の出自と知的世界にいることとの乗離が終生、芥川を脅かし続けたと思う。芥川はいわば、下町の悪ガキだった。そこから逃亡して、知的な都会人になっている自分がいる。彼は出自と現状の乗離から生まれるニヒリズムを深化させることで「玄鶴山房を書いたエゴイズムが渦巻く世界を描き出すことに成功した
日本近代文学の名作・吉本隆明・毎日新聞)

 朝顔

朝顔に寝みだれ髪の櫛おちぬ

淡路女

阿呆

思考とその対象を峻別するのが近代の人間の道理であり、これを混同すれば阿呆とされる。それでもこの阿呆の沙汰がさまざまおこなわれるその中でも、とりわけて熱心な阿呆は、文学というものに従事する者たちである。しかし言葉と現実とを等しいもののように感じることなしに、そしてその幻想につくすことなしに、文学は成り立つものだろうか。
(「山躁賦」の著者より。古井由吉)
 


 

いい作品

「いいもの」は好き嫌いで判断できない何かを持っている。
文句なしにいい作品と言うのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけにしかわからない、と読者に思わせる作品です。普遍性と微妙な心の動き。森鴎外・夏目漱石・太宰治・武田泰淳

真贋 吉本隆明 講談社

伊藤左千夫
 

よきも著ず うまきも食わず 然れども 児等と楽しみ 心足らへり

(野菊のごとき君なりきの作者・詩人)
 


逸話


{逸話というのは、実際の出来事にほんの少々創作を加味しながらつくられるもの}と
きまぐれ読書(みすず書房)

飯島耕一


暗殺百美人(学研

ドゥマゴ文学賞受賞、傑作。
ぜんぶ本の話・安原顕。ジャパン・ミックスより


飯田蛇笏1885−1962


梵妻を恋ふ乞食あり烏瓜

芋の露連山影を正しうす

たまひいのたとえば秋のほたるかな


伊藤信吉


詩は消えていくものだ
(「叙情小曲論」)


 生きる

生きることは常に新しい自分を知る喜びの中にあるのではなかろうか。七十歳になってはじめて七十歳の自分を知ることができるのである。「われわれは、まったく白紙のままで、一生のさまざまな年齢に到りつくものだラ・ロシュフコー
ソクラテスの琴・堀巌。沖積社)

石垣りん

「表札など」

みえない、朝と夜がこんなに早く入れ替わるのに。
みえない、父と母が死んでみせてくれたのに。

みえない、
私にはそこの所がみえない。
(くりかえし)


「詩は、ひとりになった。詩はひとが生きるという、そのことに、いまとても近づいているのだと思う」
(詩とことば・荒川洋治・岩波文庫)

 

 

 

ウイリアム ワーズワス (英国詩人)

THE DAFFODILS


I wandered lonly as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils ;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretched in never-ending line
Along the margin of a bay :
Ten thousand saw I at a glance,
Tossing thier heads in sprightly dance.

The waves beside them danced ; but they
Out-did the sparkling waves in glee :
A poet could not but be gay,
In such a jocund company :
I gazed― and gazed― but little thought
What wealth the show to me had brought :

For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude ;
And then my heart with pleasure fills,
And dances with the daffodils
.



ウイリアム シエクスピア

美しいもの

ヘッセの詩に「美しいものは見ることはできる。だがそれに触れることはできない。」というフレーズがある。 「唇も 交わさぬ女と 月を追い」
(森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)

宇野千代

「幸福」

内館牧子

オバサン指数

「オバサン」と「大人の女」とはどこが違うんだろうと真剣に考えたことがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は自分の「オバサン指数」を見た気がして、思わず雑誌を読むふりをした。

(「ハートが砕けた」内館牧子・マガジンハウス
                                                                                                                                                                                                                   
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

ウイリアム・バトラー・イエイツ(1865−1939)


     The Coming of Wisdom with Time

Though leaves are many, the root is one;
Through all the lying days of my youth
I swayed my leaves and flowers in the sun;
Now I may wither into the truth.


 


 
(紙

エッセイ

エッセイには思想がまだ衣服をまとった状態で提示されている。エッセイに試論、つまりかなりはっきりした思考を述べた文章と、随想、すなわち、まだ明確な思考の形をとらない想念を綴ったものとの二つの意味があるのはええms、「と思われる」ことを、そのままの形で表現するか」、もうすこしまたまりをつけた”論”にして表現するかの差である。I thinkへのエッセイが試論であるとするなら、It seems to me のエッセイは随筆、随想ということになる。
(思考の整理額・外山滋比古・ちくま文庫) 

]エズラ・パウンド

ピサ詩編 新倉俊一訳 みすず書房より

第74編
 
私にはわからない、なぜ人間が耐えられるのか
   人生の終わりに彩られた天国があろうと
   人生の終わりに彩られた天国がなかろうと
 こびとの朝顔が草の葉に絡まる

  第80編

私のかわいい娘よ、
  そして伝統を伝えてくれ
並はずれた才能がなくとも
        心の誠があることを
たぶん私はその伝統の衰微を見てきてしまった

第81編

おまえが深く愛するものは おまえから奪われはしない
おまえが深く愛するものこそ おまえの真の遺産だ
この世界は自分のものか、かれらのものか
         それともだれのものでもないのか
初めに見えるものが現れ、次に触れうるものがこうして現れた
  たとえ地獄の広場でもそれは極楽
おまえの深く愛するものこそ おまえの真の遺産だ
 

 エドガ アラン ポー

TO HELEN

by Edgar Allan Poe, 1831

Helen, thy beauty is to me
Like those Nicean barks of yore,
That gently, o'er a perfumed sea,
The weary, wayworn wanderer bore
To his own native shore.

On desperate seas long wont to roam,
Thy hyacinth hair, thy classic face,
Thy Naiad airs have brought me home
To the glory that was Greece
And the grandeur that was Rome.

Lo! in yon brilliant window-niche
How statue-like I see thee stand,
The agate lamp within thy hand!
Ah, Psyche, from the regions which
Are Holy Land!

エスカレータ

おもえば私の仕事は、下りのエスカレータを全力で駆け登っているようなものである動く歩道人生にはない。
森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)

絵葉書

絵葉書は誰もが楽しめる安価な愛の画廊

(エロスの招待状・b・ジョーンズ/w・ウエレット・千石幽一郎訳・マール社)

映画演劇評論の本

飯島正「わが青春の映画と文学」(近代評論社)
三宅周太郎「演劇往来」
「淀川長治集成」

(紙つぶて・自作自注最終版・谷沢永一・文芸春秋)

 


 

尾形亀之助

どんなにうまく一日を暮し終えても
夜明けまで起きていても
パンと牛乳の朝飯で又一日やり通している

(「日一日とはなんであるのか」詩集「雨になる朝」)
(古本暮らし・萩原魚雷著・晶文社)

 

音楽史

クラウト/パリスカ著・新西洋音楽史・戸口幸策ほか訳・音楽之友全3巻
クラウト/パリスカの文章は音楽を説明した文章としても、きわめてすぐれたものである。
(音楽の文章セミナー・久保田恵一・音楽之友社)

音楽リテラシーと音楽的リテラシー

リテラシーは本来の意味は「読み書き能力」「書字文化」(文字を媒介する文化)
「音楽リテラシー」「音楽を読み書きする能力」:音楽を通して創作・演奏・伝承する音楽文化全体。
音楽的リテラシー:音楽について書かれた文章から情報を取り出し、文章を解釈し、省察・評価する能力であり、さらにそこから、音楽について文章を書くという能力や態度。
(音楽の文章セミナー・久保田恵一・音楽之友社)

大岡昌平
 

成城だより(講談社文芸文庫)

男と女


{ この二人をみるがいい。男の木訥な態度の中にいかに女に対する愛情が十分に秘められていることであろうか。そして女の男に対する態度のなかに、微塵も疑ふことを許されない愛情が見られるじやないか。この二人には如何なる偽りの感情も不要である。
[
小沼丹氏の「幸福な二人」の描写。]


オースター


ポール・オースター(1947−)
「スモーク&ブルース・イン・ザ・フェイス・柴田元幸他訳。新潮社」
E・ワン監督「ブル^・イン・ザ・フェース」こんな洒落た映画見たことない。「上質の笑いとペーソス」が何ともたまらない傑作だった
(ぜんぶ本の話・安原顕。ジャパン・ミックス


お金


お金は交換のために、コミニュケーションのためにある。人間と人間がコミニュケーションするために、人間と人間を結びつけるために、人間が何かを作り出す「気にさせる」ために、「お金」は存在する。お金があればこそ、人間は「自分はいったい、どんな「余分なもの」を作り出せるのだろう?」というように考えることになる。自分の才能、資源、情報、スキル・・・・そういうものをてのひらに載せて重さを量り、それを使って「何ができるか」を考えるようになる。そういうふうに人間を仕向けるのが「お金」の役割だ
(街場の現代思想・内田樹。NTT出版)

尾崎放哉 1885−1926

とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

背を汽車が通る草引く顔をあげず

墓の裏に廻る
(世を捨てて孤独に自己を見つめて生きた俳人)

岡本かの子

武蔵相模を貫く多摩川の流れは、岡本かの子の終生思慕してやまなかったところである。

岡本かの子の家筋は、二子多摩川の旧家大和屋の裔である。いろは四十七蔵をもち、豪壮な邸宅と百名にあまる雇人を擁した武家出入の御用商人であった伝ふ。(亀井勝一郎・川の妖
 岡本かの子は森鴎外と夏目漱石と同列の作家である。それぞれ他の文化において一家を成した後に小説の筆をとった。この三人の作家は東洋の教養と西洋の文化を渾然の身につけている。
林房雄・日本文学の復活)
(「岡本かの子の世界」 熊坂敦子編 冬樹社)

薄氷(うすらい

晴れやかに薄氷ふめば早春の香をたてにけり

我がくろかみも

地即佛神

うつせ身のはかなきことを知るゆゑに春はわ

きても花のいとしさ

木の芽のにほひ

何事か書かんとしてぬばたまの墨をすれる

に心空しき

(歌集「深見草」より)

うつし世を夢幻とおもへども百合あかあかと咲きにけるかな

年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり

こころよき朝雨のあと君とわがけしきばかりのいさかひに似る

裸にてわれは持ちたり紅の林檎持ちたり朝風呂のなかに

をみな子と生まれしわれがわが夫に粧はずしてもの書きふける

見廻せばわが身のあたり草莽の冥きがなかにもの書き沈む

(もの書き沈む・塚本邦雄「岡本かの子の世界」熊坂敦子編・冬樹社)

曽て、このような苦悩が私にあったろうか  心は表現を許さない厳粛な苦悩を口含みつつ、
酷しく私の上に君臨している。私は奴隷のようにすすり泣きつつこまごまそこらをとり片付け
る   取り片付けることは小説を書くことであった  「巴里祭」序に代えて
(「岡本かの子の世界」 熊坂敦子編 冬樹社)


朧月

別れたる 面影に似て 朧月

(森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)


大学の先生だろうと警官だろうと医者だろうと、女は常に若いか綺麗かということが問題にされる
(かけがいのない、大したことのない私・田中美津・インパクト出版会)

飲食男女(おんじきなんにょ

「女を食べる」というと、何だか品がないようだし、食べられるほうは気味が悪いだろうが、この歳になるとそんな表現がいちばん「感じ」である。可愛いし、いい匂いがして、おいしい
(飲食男女・久世光彦・文芸春秋)

 

 

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